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【コラム】怒りの葡萄と大統領の時間=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.11.23 18:14
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そこにはろうそくだけが燃えているわけではなかった。熱いが冷やかな市民精神が共に燃えていた。果たして何が彼らをアスファルトの上に追いたて、精神的なパニック状態を怒りに変えさせたのか。

今、韓国国民の怒りは「これが国か」という絶叫とともに国家の根本に関する怒りとして、爆発力と可燃性を持って野火のように広まりかねない凄まじい叫びとなっている。あたかもジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath、1939)のように赤い怒りなのだ。

 
数日前、憲政史上初めて現職大統領が被疑者の身分で立件される姿をみて国民は深く苦悩した。それとともに、数多くの大統領の親戚が断罪され、大統領本人が自尽するほど不幸だった歴史をまた繰り返す現政治体制と政治体系をみながら嘆かざるを得ない。特に、今回明るみになった政治・資本・知識権力が結託した沈黙のカルテルと彼らが行った国政壟断をみながら、生存型人間に成り下がり中身の薄くなった主流社会の姿に自己実現的な危機感を感じる。

だが、国民は怒りながらも虚脱感を覚えている。バトンを引き継いだ国会、特に各政党の右往左往する姿から不安感すら感じる。これまで1カ月間、野党など政治家は国民にその素顔をそのままさらした。国民とマスコミが作ってきた衝撃的な状況が展開する中で、政治家は民衆の後ろに隠れて真似するのに忙しく、リーダーシップ不足で何も合意に導くことができなかった。問題解決のキーを握っている時は自分の計算に没頭するあまりタイミングを逃し、今は選択の岐路に立たされている始末だ。国民は、朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を要求しながらも、実際に思い浮かぶ傑出した代案勢力や人物がおらず、彼らの器や力量から見る限り国政がより良くなりそうな気がしないことから、恐ろしさやもどかしさを感じている。

このような胸中の濃い霧雨に降られながら、60年代末に流行した歌『同宿の歌』の歌詞の一節が思い浮かんだ。「怨恨に凝り固まった心で、間違った考えで、取り返しのつかない罪を犯し、悔いて泣いても時は遅い」

そうだ。朴大統領を現在の束縛に導いた不幸の種は彼女の胸中から消されず、今も奥深くに残っているトラウマだった。両親の不幸な死を体験することによって刻まれた深い怨恨と傷が治る前に、彼女の精神世界の空いたところを占領した不健全な慰労勢力と、裏切りのトラウマによって支配された朴槿恵式無信不立が世の中を歪めて見、そして歪めて考えさせたのではないだろうか。そして、長い間の引きこもり王女生活の挙句、父親の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領に対する国民への恩返し心理と神秘主義に隠された仮想の清廉性に対する期待心理に支えられ、準備のない大統領になった。しかし、彼女は大統領と女王の違いを見分けることができないまま、国民が委任した権力の私有化に没頭する中で、青瓦台(チョンワデ、大統領府)は彼女の王宮のように変わっていった。そして彼女の中で解消されていないトラウマは、結局、国政にそのまま染み込み、側近に国政壟断の余地を提供することになった。実定法違反で被疑者になった朴大統領のより致命的な罪目は国民の精神状態を崩壊させた不道徳性と、国家基本を乱し品格を落とした国格き損罪だろう。

したがって、今、朴大統領が優先して行うべきことは、心を整えて精神世界を回復し、これを基に現実認識を正し、すべてをあきらめることだ。ここで朴大統領があきらめることは、少しでも残っている権力のみならず、長い間凝固して解体されていないトラウマと両肩に重くのしかかっていた過度な責任から自らを解放することだと明察しなければならない。


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    2016.11.23 18:14
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    イラスト=キム・フェリョン
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