【コラム】北朝鮮の金正恩の錯覚が不安な理由(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.06.24 15:05
韓国戦争(朝鮮戦争)挑発3カ月前の1950年3月末、北朝鮮内閣首相の金日成(キム・イルソン)は特別機でモスクワに向かった。副首相で外相を兼ねていた朴憲永(パク・ホンヨン)が随行した。スターリンソ連共産党書記長に会った金日成は南侵計画を持ちだした。すでに同年初め、「共和国南半部の人民は私を信頼し、我々の武装力に期待している。南朝鮮解放のための攻撃にソ連側の指示と許可が必要だ」と通知していた。「3日あれば戦争に決着がつくだろう」として懇請する金日成を手伝って朴憲永が乗り出した。「戦争が始まれば南朝鮮にいる約20万人の南労党(南朝鮮労働党)員が大規模な暴動を起こし、我々を助けるだろう」という話だった。
しかし現実は違った。党首の朴憲永が越北し、新しい指導部を率いた金三龍(キム・サムニョン)・李舟河(イ・ジュハ)までが捕まり、南労党はすでに滅裂状態だった。「南半部解放」を成し遂げられなかった金日成は終戦直後の1953年8月、南労党系の粛清を名分に朴憲永を逮捕し、2年後に反党・宗派とスパイ容疑を被せて処刑した。金日成は北朝鮮軍創設15周年行事が開かれた1968年2月、「朴憲永は嘘つきだった」と批判して不満を爆発させた。しかし後悔にしかならなかった。朴憲永の誤った情勢判断とこれを過信した金日成の過ちで韓半島は同族間争いの大惨禍が発生し、その傷はまだ消えていない。