<ノーベル賞の話> 2008年ノーベル残酷史-ダグラス・プラシャーの人生経歴-
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.15 08:53
2008年のノーベル化学賞は、クラゲから緑色を出すたんぱく質(GFP)を研究した科学者3人に与えられた。ところで受賞者リストにはGFP遺伝子を分離したダグラス・プラシャーがなかった。発表当時プラシャーはシャトルバスの運転手だったことから話題になった。
1987年プラシャーはマサチューセッツ州のウッズホール海洋研究所に研究員として就職し、米国がん学会から20万ドルの研究費をもらってGFP遺伝子のクローニングを完成させた。次の段階でGFPがバクテリアからも光を出せるのか調査するためにNIHに研究費を申請した。この時からプラシャーの人生はゆがみ始めた。GFP単独では光を出せないと疑った審査者たちの反対で、研究費をもらえないことになったのだ。定年審査で脱落すると判断したプラシャーはウッズホールを離れて研究所や会社を転々としながら失職し、自動車ディーラー店でシャトルバスを走らせることになったのだ。