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「日帝の侵奪史を忘れずにいよう」…韓国・大邱市、純宗御幸道を造成

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.24 15:04
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大韓帝国の最後の皇帝である純宗(1874~1926)は「悲運の皇帝」だ。即位直後の1907年、日本の強圧によって韓日新協約を締結する。これに伴い、日本人を韓国の官僚として任用できるようになり、法令制定などの権限を、事実上、統監に渡した。軍隊も解散した。1910年8月29日の韓日併合条約(庚戌国恥、韓国併合ニ関スル条約)で、結局は日本の植民地になった。皇帝は悲痛な毎日を送りながら昌徳宮(チャンドックン)でその生涯を閉じた。高宗(コジョン)と明成(ミョンソン)皇后の次男だ。

純宗を賛える銅像が大邱(テグ)につくられる。大邱市中区(チュング)は22日、「純宗皇帝オガギル象徴造形物」のデザイン設計を終えたと明らかにした。オガギルとは国王などが通った御幸道のことだ。

実施設計を経て来年2月から製作に入り、4カ月後の6月に達城洞(タルソンドン)の達城公園入口に設置される予定だ。純宗の銅像がつくられるのは初めてのこと。

銅像は国家の重要な儀式の時に着用する大礼服姿の純宗皇帝がアーチ型の橋の上に立っている姿だ。銅像は高さ2.5メートルで、青銅製。ソウルの彫刻家ヤン・ジャンウォン氏(48)の作品だ。ヤン氏は「皇帝の権威をどうしたらうまく表せるか悩んでいたところ大礼服が思い浮かんだ」とし「橋の上に銅像を設置するのは『民の橋になりたい』という皇帝の気持ちが込められている」と説明した。

なぜ大邱に純宗の銅像がつくられることになったのか。純宗皇帝の訪問を記念しようとするものだが、単に純宗を追慕するだけがその趣旨ではない。日帝に侵奪された屈辱の歴史を再確認できるようにとの意味も込められている。暗い歴史から教訓を得ようとするダークツーリズム(Dark Tourism)の名所にしたい考えだ。

純宗皇帝が大邱を訪れたのは国を奪われる直前の1909年だ。同年1月7日、民政視察のために統監だった伊藤博文とともに大邱を訪問した。民の暮らしを確認するという純粋な趣旨の行事ではなかった。1905年乙巳勒約(第二次日韓協約)、1907年国債補償運動に続いて軍隊を解散したことで民心が荒れると日帝がこれを鎮めるために純宗皇帝を前に出した。

国王の乗った御輿の「オガ」が通り過ぎたところは大邱(テグ)駅~北城路(プクソンノ)~寿昌洞(スチャンドン)~達城公園だった。当時慶尚北道(キョンサンブクト)観察使だった朴重陽(パク・チュンヤン)はオガの通り道に銀色の砂を敷いてその上を布で覆った。達城公園の進入路を拡張し、冬季の枯れた木には造花をつけて春のようにした。

中区はこのうち北城路から達城公園までの1キロをオガギルとして整備している。中区はこのオガギルを「救国の道」と名付けて「大邱の近代路地ツアー」コースとして活用する方針だ。ユン・スンヨン区庁長は「近代史を学べるよい教育の場になると信じている」と話した。

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    2015.12.24 15:04
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    純宗皇帝の銅像鳥瞰図。大礼服姿の純宗が橋の上に立っている。(写真=大邱中区)
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