<ノーベル賞の話>ノーベル賞を受賞しようとするなら(2)研究所ベンチマーキング=韓国(中)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.24 15:10
韓国の研究所とLMBの重要な差異点の1つは機関長の任期だ。LMBの初代所長だったマックス・ペルーツは何と17年も仕事をしたし、MRCとの意見衝突で7年後に途中下車したシドニー・ブレナーを除けば、全員10年ずつ務めて52年の歴史で今の所長が5代目だ。一方韓国は任期が3年で、延びたケースはほとんどなく、大統領の任命過程で政府の影響が非常に強い。科学で3年単位で仕事ができるテーマはほとんどないので、私たちは機関長が中長期計画を作ってそれを執行できる状況ではない。
LMBの母胎は1947年ケンブリッジ大学物理学科のキャヴェンディシュ実験室に設立されたぺルーツ分子生物学研究チームだった。自ら立派な科学者だったペルーツは創意的な若者たちを集め、彼らの科学に対する愛と情熱が花を咲かせられるよう支援した。ペルーツが選んだジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、ブレナー、アラン・ホジキンらは30代前後の若者たちであったし、彼らには独立的な研究権限が付与された。この青年たちはその後全員がノーベル賞を受賞した。韓国だったらペルーツがワトソンとクリックの業績を自分のこととして強要する可能性もある状況だったが、そのようなハプニングは起きなかった。倫理的知性の断面だ。
1962年にペルーツの研究チームはフレデリック・サンガー、アーロン・クラッグの研究室と合わさって今日のLMBになった。過去もそうだったが現在もLMBはすでに有名になった科学者よりも30代初めの若い科学者を誘致する政策を維持している。これは機関長の人材選抜および管理能力、若い科学者が思う存分技量を発揮できる環境の形成がどれほど重要なのかを見せてくれる。