【噴水台】“カモ”な大韓民国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.10.03 13:29
生涯初めての米国旅行、青い目の友人が「本当においしい店」と言いながら連れていったところは韓国料理店だった。「韓国から12時間も飛行機に乗って来たのに韓国料理か」という私の胸中を読み取った友人が言った。「他の韓国人は韓国料理を食べに行こうといえば嫌がる。あなたでも一緒に行ってほしい」。 「韓食グローバル化」という言葉自体がなかった当時、アルタン(魚の卵が入ったスープ)をすする友人の姿はそれ自体が韓食グローバル化の可能性だった。
先月30日(現地時間)に発表されたミシュランガイドのニューヨーク版に新しく入った韓国料理店がないという話を聞いて、その友人を思い出した。韓国料理店がミシュランから認められなかったと騒ぐ人たちは、元々どれほど美食として韓国料理を楽しんでいるのだろうか。5万ウォン(約5000円)の参鶏湯(サムゲタン)があれば「どんな参鶏湯だろうか」を関心を向けるのではなく、「韓食がなぜそんなに高いのか」と文句をいうのが私たちの現実だ。いつの間にか「韓食グローバル化」が、ミシュランガイドのような海外機関の評価を気にする愛国主義スローガンに変質したような感じもする。ミシュランガイドが美食評価の定石として知られているのは確かだ。しかし彼らは神ではない。ミシュランガイドの韓国版がないという理由で政府がミシュラン側にある種のロビー活動をしたという噂は恥ずかしかった。海外の評価に夢中になる大韓民国は外から見ると「魅力ゼロ」の“カモ”にすぎない。