【コラム】富国強兵後の中国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.01 10:05
中国近代史の屈辱を象徴する場として円明園ほどのところがあるだろうか。北京の西北側にある清の皇帝の離宮だ。円明園は18世紀初め、清朝4代皇帝の康熙帝が4番目の皇子である雍親王、胤シンに下賜したのが最初だ。雍正・乾隆・嘉慶・道光帝を経て増築と拡張を繰り返した末、円明園は東・西洋様式が調和した建築・造景芸術の金字塔となった。湖と庭園、水路と森の間で各種建築物が交わった夢幻的風景の前で、英国の王ジョージ3世の特使だったジョージ・マッカートニーは言葉を失った。彼は「地上最高の景観に完全に魅了され、その感動は何とも表現することができなかった」と述懐した。マッカートニーに会った乾隆帝が「我々には不足するものがない」として通商の拡大を断ったのを無知な傲慢とのみ見るべきではない。
しかし1860年、円明園は突然、廃虚に変わった。第2次アヘン戦争で勝利した英・仏連合軍は中国に屈辱を与える意図で清の皇帝が誇ってきた円明園を選んで破壊した。童話の「魔法の城」のようだった円明園は「西洋蛮夷」の野蛮な放火と略奪であっという間に廃墟となった。今でも円明園は破壊されたまま保存され、中国の屈辱を想起させる歴史博物館の役割をしている。湖と庭園は整備されたが、破壊された建築物は当時のままだ。