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<慰安婦生存者13人証言>「16歳で連れて行かれ、おしゃれもできなかった恨を忘れられず」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.18 14:28
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「私は上のお兄さんとも20歳以上離れていたから、姪っ子よりも幼かった。本当に末っ子だった。ものすごく可愛がってもらった。近所では『干し柿の家の末娘』といえば誰もが知っていた。そんな私が連れられて行って…」

先月22日、京畿道広州市(キョンギド・クァンジュシ)の「ナヌムの家」で会った姜日出(カン・イルチュル)さん(87)は、故郷の話をしている間ずっと涙をふきながら子供のように笑っては泣くことを繰り返していた。1930~40年代のことだが、姜日出さんにとって幼少期の記憶は鮮やかに残っているようだった。慶尚北道尚州(キョンサンブクド・サンジュ)が故郷である姜日出さんは、3男4女の末っ子として生まれ、愛情を独占しながら育った。干し柿の家の末娘と呼ばれたのは、父が柿農業を大きくしてからだった。

 
「母と父が私を心から可愛がってくれた。人々が『日出(イルチュル)のお母さんには日出の形の跡がついている』というほど一日中抱かれていたから」。

小学校に通っていたころ、姉は幼い妹が1人で行けば何か起きるかもしれないと心配して10里以上もある登校を毎日一緒に行ってくれた。「時々私が座り込んでうずくまっていたら、姉さんが『そんなことしていたら遅れるよ』と。それで私が『お姉さん、足が痛くて行けない』って。そしたらすぐに来て私を背負って連れて行ってくれた。友だちに『まあ甘えんぼうね』とからかわれた」。

町内で本当に可愛がられて育った姜日出さんが16歳になった年、平和だった村に「娘供出」の噂が広がった。「恐ろしくて、しばらく隠れていた。ほかの村の母の知人の家にも行っていた。ところが長くなって母に会いたくてたまらなかった」。姜日出さんは、連れて行かれた日を今も鮮明に憶えている。「雨の降っていた日で、黄金色の服を着て銃を持った軍人1人と剣を持った巡査が来た。ちょうど家には両親もいなかった。体をぶるぶる震わせて(令状を)受け取り、震えながら彼らについて行った」。

汽車に乗って何日になるのかも分からず、しばらくして到着したのは中国の瀋陽。

そこから再びトラックに乗って13、4人の少女らと吉林省長春のある慰安所で引き渡された。初潮前だった姜日出さんは毎日、日本の軍人のさまざまな命令を受けなければならなかった。「恐ろしくてうずくまっていたら軍人が入ってきて、言った通りにしないと殴りつけた。少しだけやっても殴った。骨が折れて膿もずるずる出ていた」。


<慰安婦生存者13人証言>「16歳で連れて行かれ、おしゃれもできなかった恨を忘れられず」

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    <慰安婦生存者13人証言>「16歳で連れて行かれ、おしゃれもできなかった恨を忘れられず」(1)

    2015.08.18 14:28
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    姜日出(カン・イルチュル)さんは「幼少時、父が帰ってきたら枕元に干し柿を置いていった。干し柿が好きだが、あまりにも故郷のことを思い出して止まる時もある」と話した。
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