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「不老草探しに行った徐福、韓中日交流の象徴」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版 2015.05.27 10:19 Googleで中央日報を読み逃さない
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「秦始皇の命により約2200年前、不老草(不老不死の薬)を求めて韓半島(朝鮮半島)に向かった徐福の話は、伝説で片付けてしまう話ではありません。韓国と中国の交流がどれほど悠久であるかを物語る象徴です。韓中関係が修交約20年でこれほど近くなったのは、徐福の航海とともに長年の交流の歴史があったからです」

張良群・中国徐福学会副会長兼学術主任(76)の持論だ。彼は徐福に関する単行本4冊を出し、発表した論文を全て合わせると60万字分に及ぶ。そのうち最も愛着を持っているのは『徐福と韓国』だ。徐福の出港から2222年目にあたる2012年に出した。張副会長は「自慢のようで恥ずかしいが、もともと中国の学界で空白とされていた部分を埋めた著書と評されている」と話した。

 
徐福が不老草を求めて韓半島に来たというのは韓国人には常識だが、中国人にとってはそうではない。張副会長が初めて知人たちに『徐福と韓国』を書くと言った時、ほとんどの人が「徐福は日本に行ったことは知っているが、韓国と何の関係があるのか」と問い直したという。修交が早く学術交流が活発だった日本との関連性に中国の学者の研究が集中したために起きた現象だ。

張副会長は江蘇省連雲港市立放送局長などをつとめた元官僚だ。彼は連雲港が徐福の故郷だという縁で徐福研究に没頭するようになった。そうしている間に関心領域が広くなり1995年からこれまで韓国の済州道(チェジュド)や慶尚南道(キョンサンナムド)南海(ナムヘ)・巨済(コジェ)など徐福の足どりが残っている所を何回も現地調査した。西帰浦(ソギポ)の正房(チョンバン)瀑布の絶壁や南海錦山(クムサン)、巨済島の海金剛(ヘグムガン)などには「徐福がここを通り過ぎた」と彫られた石碑が残っている。また朝鮮時代の文人・申叔舟(シン・スクジュ)の『海東諸国記』など韓国に残っている関連記録を隅々まで調べた。

亡くなったホン・スンマン済州道徐福学会理事長らとの親睦も深めた。張副会長は「済州道の徐福公園に温家宝元首相の直筆文字を刻んだ石碑があり、習近平主席も浙江省党書記時代にここに立ち寄った」として「2200年前の古代の偉人である徐福が、今でも韓中両国をつなぐ掛け橋になっている」と話した。

徐福の行跡を追う張副会長の踏査は日本まで続いた。日本では徐福一行が五穀種を携帯していたという記録に基づいて稲作文化を伝えた主人公だともみている。日本の和歌山県には徐福の墓と伝えられる所に墓碑が建っている。学界では徐福が韓国を経て日本に行ったと推定している。

張副会長は「徐福を介した韓中日3カ国の文化交流史は今日、多くの教訓を与えてくれる大切な資産」としながら「3カ国が力を合わせて遺跡や記録などをユネスコの世界文化遺産に登録したらどうかと思う」と話した。

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    「不老草探しに行った徐福、韓中日交流の象徴」

    2015.05.27 10:19
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    徐福研究家の張良群氏は「韓中日3カ国の学術会議を今秋、徐福の故郷で開く予定」と話した。
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