【コラム】セウォル号、李完九…「告解」が出口だ(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.04.15 15:43
我々が乗った船は今、名前も知らない港口でさまよっている。どこに船首を向けても出口が見えないアポリア(aporia)の絶望が待つだけだ。目的地の済州(チェジュ)で菜の花が美しかった2014年4月16日、傾いた状態で西海岸を航海していた危険な構造物が孟骨(メンゴル)水道に入り、304人の生命を水葬させた後遺症だ。何も解決されなかったセウォル号からの1年、どうするべきなのか。
生命がないお金のために、生きて呼吸する生命を捨てたのが、セウォル号の悲劇の本質だ。これでも我々は文明の世界に属していたといえるのだろうか。季節がひと回りする間にも真相は明らかにならなかった。「遺体でも探して行方不明者の家族ではなく遺族になりたい」という現世で最も悲しい願いは背を向けられた。政府は世論に押されて船体引き揚げを決めたが、忘却を強要した非情の記憶は簡単には忘れられないだろう。