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【中央時評】遠い「反省とお詫び」=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.16 08:13
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最後は現実主義論理だ。当時の無政府的な弱肉強食国際秩序の目で見れば、日本の行動は極めて正常ということだ。西尾幹二は「韓国併合の国際的な承認を得る代わりに、日本は米国のフィリピン支配を認め、フランスのインドシナ支配を承認し、英国のインド支配が脅威を受ける場合には日本が派兵するという交換条件の協定を締結した」と主張し「(朝鮮半島併合が)犯罪なら英国は共犯であり、米国も従犯になるだろう」と強弁する。日本が朝鮮を侵奪しなかったとすればロシアの領土になっていたはずだという論旨も抜けない。

我々にはあきれるようなこうした論理が、日本国内では相当な大衆的支持を受けたりする。しかしナチスドイツの場合、近隣欧州国家を侵攻しても植民地にすることはなかった。同じ儒教文明圏に属し、長い善隣関係を受け継いできた近隣諸国を植民地属国として侵奪するというのは正当化しにくい。法的妥結もそうだ。強制的な併合を「合意による併合」に置き換え、「慰安婦」問題を漏らした生ぬるい歴史的事実に基づいた基本条約を最終的なものとして固執することは、韓国国民には受け入れがたい。

 
「動機の純粋性」も日本の我田引水的な解釈にすぎず、近隣諸国が同意するものではない。現実主義決定論も共感を得にくいのは同じだ。弱肉強食の国際秩序を既成事実化するというのは、こうした体制がいつでも再現される可能性があることを暗示する。日本がこうした秩序と論理を果敢に排撃し、真の平和を標ぼうする場合に限り、近隣諸国から信頼と尊敬を得ることができるだろう。

植民支配と侵略戦争に対する「痛切な反省と心からのお詫び」はもう水の泡になったという考えを避けることができない。こうしたな論理が力を得る今の日本の国民感情は、東アジアの未来を限りなく暗くさせる。終わりが見えない日本の自己合理化の後ろに韓日関係改善の出口は見えない。20世紀を締めくくれなかった21世紀の悲劇だ。

文正仁(ムン・ジョンイン)延世大政治外交学科教授


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