【時視各角】混乱をあおる韓国政府の「実力」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.22 13:27
今度は板橋換気口崩壊事故。1000人余りが集まる野外公演に、安全要員がいなかった。安全要員の規定がなかったため、法律違反ではない。深さが18メートルにも及ぶ換気口には危険表示もなかった。建築法では換気口のふたの強度や材質など、安全事故を防げる規定もない。安全規制は解放区水準でお粗末だ。ソウルだけで路上換気口が6000個余りで、いつでもその上を歩いているし、それがどれほど危険なのか分からなかった。そのような中で起きた大惨事で市民はパニックだ。
安全は、今の政府のスローガンだ。行政安全部を安全行政部に改名し、看板・封筒・名刺の製作などわずかな費用だけで約100億ウォン(約10億円)を使った。しかしセウォル号事故を筆頭に前代未聞の安全事故が絶えない。セウォル号以後、政府は安全対策を記憶しきれないほど多く出した。ところが6カ月を振り返ってみると、言葉だけだった。それと共に、昨日から「安全韓国訓練」という大事故避難訓練を沸きかえるように行っている。このように政府は看板・訓練のような「見えるもの」にだけ力を使う。
「危険」は見えなくて分からないから危険なのだ。安全は、見えない危険に備えてこそ実現される。今回の事故は換気口に上がった市民によって起きたという点で「市民精神」が標的にされた。市民精神の欠乏は、韓国社会の宿題でもある。ところで市民精神も学んでこそ生まれる。道端の鉄のふたの下が18メートルにもなるということを自ずから知っている人はいない。船で事故が起きれば、ひとまず船外に出なければならないということも、学ばなければ分からない。孔子も「政治というのはまず民を経済的に豊かにし、その次は教えなければならない」とおっしゃった。今、韓国政府は市民に安全を教えているのだろうか。