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【コラム】韓国の日本理解(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.16 08:55
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韓国と日本はお互いを研究する。知るほど親しくなる。研究の実績ほど相手を圧倒する。情報が勝負を決める。それは歴史・文化分野で実感できる。

「かつて韓国に豹がいた」--。2014年初めにソウルで開かれた出版記念会の案内文だ。出版(翻訳)された本は『韓国の最後の豹』。著者は日本人の遠藤公男、81歳。1962-63年に韓国で豹2頭が捕獲された(陜川吾道山と居昌伽耶山)。その後、豹は消えた。著者は豹捕獲の状況と運命を追跡した。彼はそれと関連がある韓国人に会った。

 
その本はよくまとまった現場ルポだ。出版会は「韓国虎保全基金」が斡旋した。その団体は虎・豹復元に熱心だ。団体の代表であるソウル大のイ・ハン教授の言葉だ。「私たちの最後の豹の歴史を日本人が収集、記録したのは残念だが、野生動物に国籍、国境があるだろうか」--。慰めの言葉だ。しかし無念さは残る。

80代の著者は小学校の元教師だ。彼の回想は穏やかな感興を与える。「この美しく危険な動物がどのように消えたか知りたくなった。作家の役割は事件を体験した人物を訪ねて確認することだ」。その感慨は次第に成就感へと広がっていく。その言葉は私に匕首のように刺さる。豹は韓国人が先に扱う素材だ。しかし逃した。真実発掘の競争で日本人に完敗した。

遠藤の本は私たちの社会に恥ずかしさを生む。豹は自然愛を象徴する。韓国には環境・動物保護団体があふれる。一部の団体は政治イシューとする問題にだけ集まる。その団体の実質は少ない。名分ばかり叫ぶ。「美しくて危険な動物」の話には無関心だ。

丁若銓(チョン・ヤクジョン)の『茲山魚譜』は特別な魚類図鑑だ。辛酉迫害(1801年の天主教徒弾圧事件)当時、黒山島に島流しにされて書いた。その本の韓国語翻訳本は1977年に出版された。翻訳した鄭文基(チョン・ムンギ)博士は魚類学の開拓者だ。

鄭文基の序文の一節が目を引く。「解放2年前(1943年)に韓国に来た渋沢敬三氏に会った。私たちは会った記念に『茲山魚譜』を日本語で翻訳出版することにした」(訳者の言葉)--。渋沢は民俗学者だ。彼は日本銀行総裁を務めた。

鄭文基は『茲山魚譜』を日本語にした。約束を守った。しかし出版されなかった。その32年後、ハングルの茲山魚譜が初めて出てきた。ソウル大のイ・ムンウン名誉教授(人類学科)はその過程を追跡した。2013年、日本語翻訳本を日本で探した。イ教授は「日本文化の徹底した記録精神を確認した」と述べた。


【コラム】韓国の日本理解(2)

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