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【コラム】金宇中の北朝鮮経験(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.12 16:05
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金宇中(キム・ウジュン)前大宇グループ会長の著書『まだ世界は広く、やることは多い』が、国際通貨基金(IMF)体制の渦中の大宇グループ解体は「金大中(キム・デジュン)政権による企画解体だ」、いや「市場の要求だ」という論争を招いている。簡単に終わりそうでないこうした真実ゲームとは別に、金宇中の本には、我々の対北朝鮮政策で参考にすべき重要な教訓が入っているのに注目したい。

金宇中が本を書き、記者のメール質問に答えたものを見ると、彼は全斗煥(チョン・ドゥファン)-盧泰愚(ノ・テウ)-金泳三(キム・ヨンサム)政権期間に政府の密使として北朝鮮を出入りしながら、20回ほど金日成(キム・イルソン)主席や金正日(キム・ジョンイル)総書記に会い、南北関係改善の水面下作業をしていたことが分かる。盧泰愚政権当時は「総務処の官印が押された」特使任命状まで受け、金日成と金正日を直接説得し、南北基本合意書(1991年12月)実現の一助となった。彼が金日成の信頼を得た秘訣は、政府代表ができない話をすることだった。金宇中は1980年代末と90年代初めのソ連・東欧圏解体の経過を金日成に詳しく説明した後、北朝鮮にも金主席の銅像が多いが、それが倒れて体制が揺れる事態が生じないことを望むという苦言を呈した。

金宇中は盧泰愚に金日成との会談を積極的に勧めた。ソ連・東欧圏の解体で北朝鮮の未来が不透明に見えるその時期が、首脳会談を開くのに最も適切な時期だと考えた。盧泰愚は一度は同意しながらもためらい、首脳会談の話はなかったことにしてしまった。盧泰愚は金宇中に首脳会談を白紙にした理由を最後まで説明しなかった。金宇中は金日成から金泳三に会うという言質を受け、首脳会談の準備を助けたと書いた。その首脳会談は94年7月の金日成の突然の死で実現しなかった。

 
彼は自ら言うように「商売人」だ。彼は政府のバックチャンネルとして北朝鮮を往来しながら、韓国企業では初めて北朝鮮に南浦工業団地を設立した。政府と企業家の生産的なウィン・ウィンだ。彼は金日成に対し、中国の東北3省に中国の土地、北朝鮮の人、韓国の技術と資本を投入する軽工業団地を造成しようと提案し、好意的な反応を得た。最初は北朝鮮の勤労者2万人ではじめ、最終的には20万人まで雇用するという大きなビジョンだった。

過去のことを「あの時にこうしていれば」という記述は無意味だが、当時、盧泰愚-金日成会談が実現していたり、金泳三-金日成会談の直前に金日成が死去していなければと思うのは金宇中だけではない。


【コラム】金宇中の北朝鮮経験(2)

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