【時視各角】中国人と共に生きていくこと(1)(上)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.21 10:54
ある日ふと、「歳月はこれほど流れたのか」「世の中がこれほど変わったのか」と改めて悟ることになる時があるが、私にとっては中国人観光客がそれだった。いつの間にこれほど多くなったのか。あえて中国に行かなくても、中国人が韓国人より多いところを簡単に探せる。中国人の人波が殺到する明洞(ミョンドン)や中国語案内文にあふれたデパートは、今は話題にもならない。
休日の朝の近所の散歩道は、どうだろうか。釜岩洞(プアムドン)から三清洞(サムチョンドン)に向かう青瓦台(チョンワデ、大統領府)正門前は写真を撮る中国人で渋滞して通り過ぎるのも大変なほどだ。「失礼します」の代わりに「対不起」と中国語の挨拶に言葉を変えなければならない。いつの間にか私の生活に入ってきた中国人、共に生きていく術(すべ)を学ばなければならない時だという気がしたのも、そのためだった。問題はその中国人観光客が「無作法&リッチ」、その2つの顔を持つという点だ。無作法なマナーの悪さは遠ざけて、リッチだけを相手にすることはできないだろうか。だが、そんな事を思い通りにできるものだろうか。