【コラム】「朴槿恵アウト」なら解決されるのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.16 17:07
目にしみる。氷のように透明な空から、夏のような日差しが突き刺さってくる。その日差しがあまりに冷たくて涙がたまる。何度も目をしばたき、手でこすった。冷たい海の中では、こんな日差しがどれほど懐かしいだろうか。昼休みに約束がない日には、ついソウル市庁広場に向かってしまう。列をつくって待っていた弔問客が何日か前からまばらになった。黄色いリボンだけがざわめいて、風に揺れる。芝の上にはそれぞれの願いを込めた黄色い紙の船が日差しに輝いている。
「ご冥福を祈ります」「そちらでは無事であることを祈ります」「守れなくて、ごめんね」「生きていると思っていたのに…」「許すな」「忘れません」…あの数多くの叫びは、今はもう変わっただろうか。でなければ減少した弔問客のように、またそうやって私たちの記憶から消えて行くのだろうか。
政府は国家を改造するという。数えきれないほど繰り返されてきた大型惨事。そして反省と謝罪、注ぎ込んだ対策…。それで変わったものがあっただろうか。1953年1月9日。麗水(ヨス)から釜山(プサン)に向かっていた定期旅客船のチャンギョン号が多大浦(タデポ)近海で座礁した。その時も原因は貨物の過積載だった。救命ボートと救命胴衣は最初から船に載せてもいなかった。会社の倉庫から発見された。乗客236人のうち生き残ったのはわずか7人。