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【コラム】危機の安倍、巨人の中曽根を記憶すべき(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.19 11:47
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安倍晋三首相が四面楚歌に陥った。信じた同盟国の米国は、昨年12月26日の靖国神社参拝強行後、「失望」したとして背を向けた。弟と側近を米国に派遣して「平和を祈る行為」だと説得したが、返ってきたのは冷笑だけだった。国内では参拝が日本の外交に悪影響を与えているという非難世論が半分を超えた。オバマ大統領の4月の日本訪問を控え、内憂外患の非常事態を迎えた。

安倍首相の政治的な師である小泉純一郎首相の参拝当時とは雰囲気が完全に違う。2001年に就任した小泉首相は5年5カ月の在任期間に6回参拝したが、米国は「日本の政治家と首相が自ら決めるべき問題」として日本の肩を持った。今の米国の冷たい雰囲気は、バイデン副大統領の意表を突いて参拝を強行した事実だけでは説明がつかない。日本が韓日米協力を通じた地域安定というオバマ政権のアジア戦略を正面から無視したのが日米葛藤の核心だ。米国メディアは安倍首相を「極端な国粋主義者」「北東アジアの問題児」と呼んでいる。

 
戦後の日本政治の巨木である中曽根元首相のリーダーシップを振り返る必要がある。中曽根首相が就任した1982年も、現在のように日本と周辺国の関係が最悪の状態だった。しかも中曽根氏は現職首相としては最初に靖国神社を参拝した問題の人物だった。それでも在任期間、韓国・米国・中国と最高の蜜月関係を謳歌した。ミステリーだ。

カギは民族主義と国際主義を結合させた戦略的柔軟性にあった。中曽根首相は国際関係の流れを冷静に把握し、自国の利益と相手国の立場を調和させ、均衡点を見いだす現実主義者だった。若い時代は憲法改正と在日米軍の大幅縮小、自主国防を主張し、「吉田路線」と呼ばれる戦後体制の解体を目指した。「吉田路線」とは米国に安保を依存する軽武装、重商主義が核心だ。しかし1970年代に防衛庁長官を務め、日米関係の現実を認識した。首相になる頃には「日本の戦後30年は非軍事性と汎国民性を特徴に、元禄、明治時代に比肩するほどの偉大な時代だった」と日記に書いた。

民主主義、個性、国際的視野を重視する国際市民としての国民教育を先導した。革新勢力である日本教職員組合元委員長を教育審議会委員に抜てきした。1986年に藤尾正行文相が韓国併合について「形式的にも史実的にも両国の合意に基づくものだった」と妄言を吐いた後、辞任を拒否すると、すぐに罷免したのも中曽根首相だった。


【コラム】危機の安倍、巨人の中曽根を記憶すべき(2)

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