【取材日記】「その国の閣僚の水準」を問う=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.01 09:38
日本の下村博文文部科学相が先月30日、韓国の民度に言及した。
彼はサッカー東アジアカップの韓日戦で韓国応援団が李舜臣(イ・スンシン)将軍と安重根(アン・ジュングン)義士の絵、そして「歴史を忘れた民族に未来はない」という垂れ幕を掲げたことに問題を提起し、「その国の民度が問われる。もし日本国内でこうした行為があったらほかのサポーターが止めただろう」と話した。下村氏はスポーツ問題を総括する閣僚でもある。担当閣僚としてスポーツに政治的要因が介入しては困るという話をしたかったのだろう。
だが、彼の口から出た「民度」という単語は問題だ。民度とは50%、100%のようにきっちりと数字が出てくる単純な測定値ではない。ある者はタクシーに財布を落として降りた時に無事に戻ってくるかでその国の民度を判断し、他の者は信号順守のような交通秩序を話したりもする。謙虚さや相手に対する配慮のようなものも民度の重要な基準だ。そうした点で見ると私は日本国民の民度は高いと思う。