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【コラム】猿の生き方…自殺の崖っぷちから夢を掴んだ男=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.03 15:02
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昨年は本当に暗鬱だった。リピートがついたように最後の日まで暗鬱が繰り返した。自分にとっても世の中にとっても、一種の浄化作業が必要だった。それで彼の名前を思い出した。イ・ウォンスン。今はピザ屋の社長であり演劇俳優だが、その前はコメディアンと呼ばれた。彼は、私が知る誰よりも新年の希望の歌が似合う男だ。彼を呼んで騒いで昨年を洗い落とし、新しい年を希望の思いで明けたいと思った。

彼に初めて出会ったのは1993年の春。正確な日にちは忘れた。場所もおぼろげだ。もっともそれに何の関係があるのか。ありふれた出会いで、その時は縁のある人だとは思わなかった。私は演劇担当の記者、彼は人気コメディアン。初めはぎこちなかった。人気のコメディアンがお笑いでもなくなぜ正統演劇に飛び込むのか?斜に構えた目で彼をじろじろと見ていた。みすぼらしいジーンズ、猿のような容貌、似つかわしくない落ち着き。その時本当に似合わないと思っていたその落ち着きは、その後20年余りにわたり終始一貫していたし、私は結局、両手両足をみな彼のところに突っ込んでしまった。そうだ、君は優秀だった。

 
今はピザ屋になった彼の大学路(テハンノ)の3階の家で、私たちは夫婦同士で花札をしたり子供たちと一緒にふざけ合ったりもしたが、今もそうだがほとんど彼がお膳立てしてくれる側だった。当時の彼は人気があって、夜の舞台をいくつも掛け持ちしたおかげで大学路のその3階ビルを買うことができた。ビルの地下は小劇場と練習室、1・2階はコーヒーショップ、3階が自宅だったが、小劇場の運営によって作品と生活を両立しようとしていた彼の計画が問題だった。公演はうまくいったりもしたが、ほとんどがダメだった。借金が増えたからなのか、最初から縁がなかったのか、妻とも別れた。

98年39歳、その年に彼は生涯の絶頂を迎える。離婚と破産、そして再起。その時彼は本当に苦労をした。演劇をたたんでピザ屋を始めて7カ月。彼は死を決意したという。「金を貸した親しい友人にかけた1本の電話。『借金を返せなくて死ぬことになった。すまん。冥土に行って返すから』。友人いわく。『ふざけるな、切るぞこいつ』。そしてツー、ツー、ツー。そこで生死が分かれた。きっ抗していた死の緊張の糸は急に切れた。突然、滑稽に思えた。『自殺』はそうして『生きよう』へとひっくり返った」。


【コラム】猿の生き方…自殺の崖っぷちから夢を掴んだ男=韓国(2)

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