【中央時評】朴槿恵大統領は答えを知っている(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.16 13:09
「アジアの防衛はアジア人の手で」。いわゆるニクソンドクトリンが発表された翌年の1970年8月25日、当時のアグニュー米副大統領は在韓米軍縮小協議のため急きょ韓国を訪れた。68年の青瓦台(チョンワデ、大統領府)襲撃未遂事件、69年の蔚珍(ウルチン)・三陟(サムチョク)武装工作員浸透など北朝鮮の武力挑発が猛威を振るっていた時期だった。ワシントンの在韓米軍縮小の動きとアグニュー副大統領の訪韓は深刻な事件になるしかなかった。
当時の金正濂(キム・ジョンリョム)青瓦台秘書室長は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が会談2週間前からほぼすべての日程を先送りし対策作りに没頭したと回顧する。2度にわたる会談で朴大統領は韓国の安全保障と在韓米軍縮小問題を同時に議論すること、韓国軍装備の近代化と長期軍事援助、2万人以上の米軍縮小不可などを要求した。アグニュー副大統領も「第7師団は撤収しても第2師団は残留する。縮小は2万人以内で行われるもので韓国の安保には何の心配もない」と回答した。朴大統領は安堵感を覚えた。