【時論】終わらない「朝鮮文化抹殺政策」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.12 11:02
中国(清)は1842年8月、アヘン戦争で敗れ、英国と南京条約を締結した。この事件は日本には繁栄の機会を、韓国には「文化の断絶」という受難の歴史をスタートさせた。当時、日本は近代化の旗幟を掲げ、米国・フランス・オランダ・英国・ロシアと急いで通商条約を締結した。日本は経済的な安定と富国強兵を最優先目標に、国家的な殖産興業政策を積極的に推進した。続く維新革命は日本を「世界で最も強く豊かな国」にするという野望と「東洋は日本が支配する」という侵略戦争の計画に基づき、政治的・文化的覚醒と国民の団結、そして近代化の機会とした。
19世紀の朝鮮王朝は純祖・憲宗・哲宗・高宗と続きながら勢道政治で権力争奪に血眼になり、民生はどん底に落ちた状態だった。興宣大院君は時代の変化を把握できず、鎖国政策をとった。韓半島(朝鮮半島)は列強の角逐の場に変わり、日清戦争と日露戦争が起きた。この両戦争で勝利した日本は1910年8月29日、519年の朝鮮王朝を滅亡させ、朝鮮文化抹殺政策で我々の正体性(アイデンティティー)まで消滅させようとした。