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日帝強占期の遺産、文化財登録・復元、どこまで?(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.10.30 14:06
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25日午前、ソウル上岩洞の上岩ワールドカップパークマンション前。黒い木で建てられた建物2棟がある。このうち1棟に入ると、玄関を中心に部屋3つが目に入る。しかし部屋の中にあるものは、建物のあちこちに設置された監視カメラの画面を見せる機器と、ペットボトル2つ、携帯電話の充電器だけだ。もう一つの建物は閉鎖されている。ここを一人で管理している麻浦区役所所属の管理人に尋ねたところ、「区役所から門を開けるなと言われている。入ってもトイレと厨房しかない」という言葉が返ってきた。

この建物は1930年代の日中戦争当時、鉄道を通して物資を供給した日本軍将校の官舎だ。2005年にSH公社が大規模な宅地を造成する際に発見した。当時、文化財庁が「保存価値がある」と判断、SH公社と文化財庁は13億ウォン(約1億2000万円)を投入し、全体22棟のうち2棟を2010年10月に復元した。建物の前には「日本の大陸侵略が本格化して建てられたところで、国内に残っている日本軍官舎団地では唯一であり、近代史の苦痛を証明する歴史的な遺跡として価値が高い」という内容の案内板を設置した。その後、麻浦区役所とSH公社が文化財登録を申請したが、住民が「日本帝国主義の残滓」として反対し始めた。文化財庁も登録手続きを放棄し、3年近く放置されてきた。

 
そのためか、この日会った住民はこれに対して否定的だった。近くのマンションに住むタク・ヤンジャさん(76)は「このような見たくない施設はなければいい。独島(ドクト、日本名・竹島)が自国の領土だと主張する日本を連想させるもので、子どもたちの教育にも役立たない」と話した。住民のイ・チャンリョルさん(20、休学生)も「近くにある日本人学校を意識して数億ウォンを投入して建てた聞いた。予算の浪費だ。どうせなら住民の憩いの場などにすればいい」と語った。40代とみられるある男性は建物周辺の石垣に立ち小便をした。

◆住民の反対にも文化財庁は登録推進

しかし文化財庁は依然としてここを文化財として登録するべきだという立場だ。セヌリ党の朴成浩(パク・ソンホ)議員室が最近、国政監査を契機に今後の計画を質問すると、文化財庁は「地方自治体との協議を続け、日帝強占期の文化財に対する認識を転換させ、住民を説得し、長期的に文化財として登録を推進する計画」と明らかにした。書面の答弁書には「恥辱の歴史の残滓物であっても保存し、後世が歴史的事実をそのまま受け入れ、教訓を得る教育の場として活用するのが望ましい」と付け加えた。

市民団体と専門家の間では意見が分かれる。歴史復元国民運動本部のソン・テギョン常任代表は「日本軍人の宿舎からどんな歴史的教訓を得られるのか。見た目も良くないし、恥ずかしいところだ」と話した。ボク・キデ仁荷大研究教授(融合考古学)は「軍の官舎を置いておけば、日本の戦争を記念するように見える。今のように管理もされていないのなら、速やかに撤去するべきだ」と述べた。

一方、韓国文化遺産政策研究所のファン・ピョンウ所長は「文化財は記念するものと記憶するものの2種類がある。こうした建物は記念するべきものではないが、記憶として残し、今後こうした歴史が繰り返されないようにするべきだ」と述べた。官舎復元を引き受けたアン・チャンモ京畿大建築専門大学院教授も「日本軍の官舎は侵略史を見せる数少ないところだ。こうした遺産をなくして最も喜ぶのは侵略の主人公の日本側」とし「危害を加えた人たちが自分たちの侵略の歴史を忘れないようにしなければいけない」と話した。

地方自治体側は困惑している。麻浦区役所文化観光課のユ・ホソン主任は「2012年に文化財登録を推進する時も、住民の反対が強くて中断したのに、いま区役所レベルで登録を推進するのは難しい状況」とし「それでも放置できず活用案を内部的に検討中」と述べた。(中央SUNDAY第346号)


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    2013.10.30 14:06
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    (上)ソウル上岩洞に復元された日本軍将校の官舎。(左下)全羅北道完州郡にある旧参礼糧穀倉庫を文化芸術村として再整備した姿。(右下)日帝時代に湖南平野の農産物収奪に利用された全羅北道完州郡の万頃江鉄橋。(写真=文化財庁・全北完州郡庁)
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