【コラム】ロシアの水没将兵追慕碑の警告=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.11.14 11:42
追撃する日本軍の魚雷攻撃を受けながら遺体と負傷者を乗せ済物浦外港まで来たワリャーグ号とコレーエツ号の艦長はロシア帝国の海軍艦艇を「東洋の野蛮人」の手に渡すことはできないとし「自決」の道を選んだ。将兵をボートで脱出させた後、コレーエツ号は火薬庫に通じる導火線に火をつけ自爆しワリャーグ号は水葬にされた。コレーエツ号の爆発音に仁川浦口の住民たちは驚いた。その隙に日本の陸軍部隊は済物浦に上陸した。フランスのパスカル号と英国のタルボット号がロシアの将兵を救助し帰国への便宜を提供した。日本は英国、フランス、イタリアの艦艇の艦長に日本軍の捕虜であるロシアの軍人を引き渡すよう要求した。しかし欧州3国の艦長は日本軍が宣戦布告なくロシア艦艇を攻撃したのは国際法違反だと抗議した。
しかし欧州3国の日本に対する抗議はそれで終わりだった。米国は日本と翌年締結することになる桂タフト協定の交渉中だった。米国は日本の朝鮮統治を、日本は米国のフィリピン支配を相互に認める秘密協定だ。そのため米海軍艦艇ビックスバーグ号は済物浦に来ていたが米国は冷たく背を向けた。英国は2年前に日英同盟を締結した状況でロシアの東アジア進出を警戒していたため日本を積極支援した。インドシナを植民地経営していたフランスもロシアを支援する理由はなかった。イタリアには英国とフランスとの友好関係がもっと重要だった。このように日露戦争開戦時に欧米列強が取った態度は徹底的に地政学的利害に左右された。