日本、隣国の傷をひっかき回せば和解は不可能(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.19 10:19
12日、中央日報とソウル大アジア研究所共同取材チームは米軍の原爆投下10周年である1955年8月にたてられた日本の広島平和記念資料館を訪れた。資料館の中では、アジアに苦痛を抱かせた“加害者”日本が戦争の“被害者”になっていた。
◆戦犯たちを英雄と敬う靖国
資料館には原爆の惨状と世界平和を強調した展示物が陳列されていた。しかし資料館のどこを見回しても、戦争に対する日本の責任や反省を込めた内容を探すことが難しかった。例えば米軍が45年8月6日に広島に原爆を投下した理由を説明しながら「45年春、戦況が極度に不利になると日本がソ連を通じて交渉を始めた。米国は戦後のソ連の影響力を抑えて20億ドルにもなる莫大な核開発費用を国内的に正当化するために核兵器の存在と使用意図を日本にはヒントも与えず警告さえなく核兵器を使った」と記述していた。まるで何の誤りもない日本が米軍の原爆実験の対象になったという認識を持たせていた。当時亡くなった数万人の韓国人の数字は最初から明示されることもなかった。