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【噴水台】どんなに煮ても焼いても家族は力…そばにいるから=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.09.18 17:03
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「ご両親の法事日も分かるようになり、これからは子供としての道理を尽くせるようになりました」。

25日の南北離散家族対面予定者の名簿にある、故郷に戻れない人々が口をそろえたという。生きている家族の対面と同じぐらい、亡くなった両親の法事日を大切に思う心情がうかがえる。韓民族ならば、ほとんどの人がうなずくような大事なことだ。命日に合わせた祭祀と、正月と秋夕(チュソク、中秋)に行う茶礼(チャレ:先祖の位牌を安置した廟などで行う簡単な祭祀 )が名節の帰省とともに韓国人のアイデンティティを代表する風俗習慣であるためであろう。17年前、英国ロンドンで1年間の研修をしていた当時、祭祀と茶礼の時には果物と酒で簡単なお膳を準備し、韓国に国際電話をかけて時間を合わせて礼を行った。祭祀と茶礼を病的に準備しているのではないかとも思ったが、実のところこんなふうにしている海外同胞が結構いた。

 
かすかな過去の記憶の中で、ちょっと前に聞いた親しい後輩の話がオーバーラップした。「私の家は祭祀や茶礼はこれ以上やりません。昨年、兄が結婚して母が『私が数十年間したら良い、嫁にまで譲りたくない』と言って終わりにしようと言われました」。儒学者の家の出身の父も静かに決定に従ったという。初めてこの話を聞いた時は「世の中がこれほどまで変わるとは」と思い衝撃が大きかった。だが受け入れることにはならずとも、理解することはできた。祭物を準備する家の奥方がこういう決定をすれば、他の家族は従うほかはないからだ。実際周辺を見てみると、嫁が職場や子供の教育のために家礼(一家の礼儀作法)を手伝うことができず、姑が引き受ける家も少なくない。このような家は、姑の気力が落ちたり療養病院にでも行くことになれば祭祀や茶礼を中止するのが常だ。

結婚30周年、40周年を迎えてもう祭祀と茶礼は終わりにすると宣言する奥方も結構出てきているようだ。一族の上長である友人は、名節になれば家族皆が釜山(プサン)の海雲台(ヘウンデ)のホテルで過ごすのだが、この一家もこれに該当する。名節に海外旅行で空港がますます混雑しているのも、こうした脱祭祀・脱茶礼時代の一端かも知れないという気がする。

名節にうんざりして、両親が亡くなった後は祭祀と茶礼を中止にしたという先輩1人も思い浮かぶ。幼いころの3兄弟は時に争っても兄弟愛が深まっていたが、大人になった後では名節に集まるたびに直会(なおらい)後の家礼費用の問題で争って、会うほどに溝が深まったそうだ。

それでも名節の帰省の道は、依然として混雑している。名節になると家族が恋しくなるのは仕方ない。変わるのは家族の形態と慣習だけで「名節は家族と共に」という公式は依然として有効なようだ。いくらケンカして争って対立して仲がこじれても、やはり家族は家族であり、名節は名節だからだ。明日は中秋のお盆。家族皆が一緒にできなくも、心だけは一つなのだ。

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    2013.09.18 17:03
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    イラスト=カン・イルグ。
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