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【噴水台】九番炒り茶、韓国のお茶でゆっくり話交わす中秋を

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.09.04 15:50
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世の中がいくら騒々しくても、季節は間違わない。今は朝夕の風が涼しいから、暖かいお茶一杯が懐かしい。ふと、お茶を教えてくれた師匠の故ヤン・ハムギ先生を思い出す。日帝に抵抗して同盟休学が真っ最中だった1930年代、中央高等小学校に通い「勉強する人が勉強してこそ民族の未来がある」というヒョン・サンユン校長〔光復(解放)後の高麗(コリョ)大学初代総長〕の勧めで日本に留学して医者になった方だ。その方が生前、お茶にまつわる幼いころの思い出を聞かせてくれたことがある。

「慶尚南道咸陽(キョンサンナムド・ハミャン)に住んでいた祖父が、春が来るとすぐにお手伝いさんと牛2頭を連れて旅立たれた。私もついて行った。まず河東(ハドン)の茶畑に立ち寄ってお茶の葉を取って炒める(茶の加工)過程を細かく見ながらお茶を買われた。茶の代金に牛1頭で支払って。その次に無等山(ムドゥンサン)の絵を描くホ先生のお宅に行ってお茶を一緒に飲んで、詩を作って文字を書いて時調(韓国特有の定型詩)も作りながら1カ月ぐらい過ごし、絵を何点から持って帰ってこられた。お茶何袋かと残った牛1頭はそのお宅に差し上げて3人で歩いて帰ってきた。絵の巻き物を背負って智異山(チリサン)を山越えするお手伝いさんの姿が今でも鮮やかに目に浮かぶ」

 
韓国のお茶には、このように一幅の絵のようなストーリーが込められていて、悠久の歴史が宿っていて、その中で深い文化が溶け合っているというのだろう。

ちょうど今年は運良くお茶についての思い出を3つ作ることができた。6月に忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の浮石寺(プソクサ)にテンプルステイに行った時は、住職のジュギョン僧侶が煎じたすっきりした味わいの緑茶に、疲労が回復して心も穏やかになった。一行に「初めの一杯は香りで、2杯目は味で、2杯目は心で感じること」と話しながらお茶を回した僧侶の余裕のある姿が思い浮かぶ。寺の茶の味は、余韻がとりわけ長かった瑞山の夕陽や漆黒のような山寺の夜とともに、いつまでも安らかな記憶として残った。

先月には、雨の降る日に全羅南道康津(チョンラナムド・カンジン)の「茶山草堂」で、やわらかい発酵茶に出会った。そちらで学生たちに茶と書道、伝統礼儀と実学精神を教える方々が、雨に見舞われた旅人に出してくれた茶のおかげで元気を取り戻すことができた。この前は友人が、「九番炒り茶」(9回炒ってつくるお茶)の名人というミョドク僧侶が作った伝統茶の、こくのある味わいをふるまってくれた。口の中にふくんでいるうちに気持ちまでさわやかになった。お茶こそが韓国の伝統であり文化であり、アイデンティティだという思いが自然と出てきた。

週末に家族への名節の贈り物を探しに市場へ立ち寄った。お茶を探したところ品揃えがそれほど多くなかった。コーヒーのために押され気味だというのが職員の話だった。押され気味なのはお茶ではなく私たちの心の余裕であり、固有の飲み物文化かも知れないという考えがよぎった。今回の中秋の旧盆には、ストーリーが込められたお茶を飲んで、穏やかに打ち解けて話を交わせるように大切な人たちに私たちの茶を贈るべきだろう。中秋の旧盆は、もう半月後だ。

チェ・インテク論説委員

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    2013.09.04 15:50
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    イラスト=キム・フェリョン記者。
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