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大韓帝国公使館の悲劇の教訓…「自主外交、富国強兵なければ破綻」(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.08.27 17:10
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大韓帝国の高宗(コジョン)の最後の勝負の賭けは外交であった。亡国の影が濃くなっていた1887年、高宗は隠密で御命をくだす。米国の首都ワシントンDCに大韓帝国の常駐公使館(今の大使館)を開設しろとの命令だった。1891年、イ・チェヨン公使はワシントンDCローガンサークル15番地のビクトリア様式の赤褐色レンガ建物を買いとって屋上に太極旗を掲揚した。

しかし1910年、朝鮮は国権を喪失し、日帝はこの建物を5ドルで強奪した。記憶から忘れられた公使館を生き返らせたのは専門家たちの粘り強い意志であった。キム・ウォンモ檀国(タングク)大学教授は1983年、ワシントンの登記所で関連記録を探し出し、中央日報のパク・ポギュン論説委員は『生きている米国の歴史』の著述と講演を通じて買い入れ世論を主導した。昨年8月、公使館は102年ぶりに故国のふところに戻った。

韓国政府は20日、キム教授とパク論説委員に国民勲章牡丹章を授与した。キム教授とパク論説委員は21日に対談の機会を持ち、大韓帝国公使館の悲劇の教訓を振り返った。

--高宗が米国に公使館をつくった背景は。

キム・ウォンモ教授(以下、キム教授)=「米国は1882年に朝鮮と修好通商条約を結ぶ過程で朝鮮を清国の属国として待遇しろとの中国の影響力を排除した。条約締結を記念して米国は自国の独立戦争を象徴した歌『Yankee Doodle』を演奏した。朝鮮を新生独立国と認定したのだ」

パク・ポギュン論説委員(以下、朴委員)=「米国のチェスター・アーサー大統領は1883年高宗が送った使節団に『米国は他国の領土を占領、支配する意図はない』と言った。韓半島をめぐって日・中・露が繰り広げていた弱肉強食構図に苦しめられていた高宗にとって、この言葉は格別だった。朝米条約1条漢文本には『居中調整』、英文本には『good offices』という表現がある。朝鮮が第3国と紛争がある場合、米国が調整するという外交文面であった。これもまた高宗の心を動かした。しかし高宗の米国への心は片思いに過ぎなかった」

キム教授=「朝鮮は『居住調整』という外交的文面を拡大解釈した。駐韓米国公使ホロス・アレンはセオドア・ルーズベルト大統領に『米国が親露・反日政策を推進すれば韓国を日本の侵略から守ることができる』と言った。だがルーズベルトはロシアの南進を防ぐために親日・反露政策を選んだ。いくら良い条約でも国力がなければ紙切れに過ぎない」

パク委員=「公使館は弱小国朝鮮の外交的野望だ。だが虚弱な国力のせいで自主外交が挫折した教訓が込められた場所だ。高宗は『居住調整』という外交的な言葉を今の韓米相互防衛条約級だと過度に解釈した。日清戦争で日本が勝利する中、中国が数千年間影響力を行使してきた韓半島から撤退した。さらに日露戦争でも勝利した日本は、米国と『桂・タフト』密約、第2次日英同盟、ロシアとのポーツマス条約を結んで朝鮮に対する宗主権を確保する。富国強兵のない高宗の自主外交の野望は破綻した」。

(中央SUNDAY第337号)
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    2013.08.27 17:10
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    左から国民勲章牡丹章を受けた中央日報のパク・ポギュン論説委員とキム・ウォンモ檀国(タングク)大学教授。
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