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「100年前、韓国人は明晰で堂々としていたとの外国人の記録多く」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.13 16:50
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「私が両班(ヤンバン)を訪問するたびに彼らは常に何かを食べていたり寝ていたりした。…多くの男たちは感覚的な快楽にひたって晩年には完全に破滅することになる。過飲が朝鮮では一種の国民的習慣であり、過食や飲酒およびほかの悪習は貴族もそれほど例外ではない」。(A.H. Savage Landor:1865~1924。英国画家・探検家・作家。1890年以来2度の韓国訪問。著書『Corea or Cho-sen, The Land of the Morning Calm(静かな朝の国、韓国)』)

「韓国人は日本人よりに頭一つ分かもっと背が高かった。…態度は自然で余裕があった。…彼らの動作は日本人の特徴である、おどおどし卑屈さや誇張された礼儀の振る舞いとは程遠かった」。(W. Ason Grebst:1875~1920。スウェーデンの新聞記者。1904~1905年に韓国訪問。著書『スウェーデン記者Ason100年前の韓国を歩く』)

 
19世紀後半から20世紀初期の韓国人に対する青い目の外国人の評価だ。一瞬極端に交錯している。このような相反した評価は、それから100年余りの歳月が流れた今、どれぐらい有効だろうか。

韓国の歴史の本を見れば、たいていこの時期は簡略に記して次に移ったりする。朝鮮の高宗(コジョン)君主が大韓帝国の皇帝として変わる時期だったが結局は国を奪われてしまったという点で高い評価を受けられなかった。当時、外国人が残した韓国人に対する記録中でも唯一無気力で無能だと描写されていた部分に注目する傾向が濃厚だ。例えば米国人宣教師のホーマー・ハルバート(1863~1949)だけでも高宗の特使としてハーグ万国平和会議に派遣された人物として、韓国人の長所と短所を全て著書に残したが、私たちの視線にとらえられたのは主に韓国人の短所だった。

イ・スプ作家が5月末に出版した『二十歳には分からなかった私の韓国』(イェオク出版社)はこうした非対称性に着目した。朝鮮時代末期から大韓帝国時期の外国人の韓国人に関する記録を追跡しながら、今までなじみの薄かった韓国人の肯定的な面に注目した。すると韓国人が新しくアプローチしてきた。40代後半の作家が20代の若い時期には考えられなかった一種の「新しい発見」だった。

作家と出版社は昨年中旬、この本の仮製本をつくって各界要人に送って助言を求めた。今は文化体育観光部(文体部)長官になったユ・ジンリョン氏(当時カトリック大学韓流大学院長)もその中の1人だった。不面識だった作家が送った電子メールだったが、韓流に没頭していた彼は韓流の原動力を思い起こした。

現職の文体部長官と作家の異例的な出会いは、そうした過程を経ていた。「韓国人の文化的DNAと韓流」というテーマで7月22日、文体部長官接見室で対談が開かれた。

作家は韓国人の肯定的な属性として「自然さ」「善良さ」「強さ」などが共通して議論されていることを強調した。これはこの日の対談を解いていく糸口であった。ユ長官は「100年前、外国人の韓国人に対する肯定と否定の描写は全て私たちの姿かもしれないが、その中のどれをさらに育てていくのかを考えてみなければならない」と話した。


「100年前、韓国人は明晰で堂々としていたとの外国人の記録多く」(2)

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    2013.08.13 16:50
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    ユ・ジンリョン文化体育観光部長官(左側)と『二十歳には分からなかった私の韓国』の著者であるイ・スプ作家。「韓国人の文化的DNAと韓流」をテーマに話を交わしていた。
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