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【コラム】李承晩、米国との大胆な勝負(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.29 14:31
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韓国戦争(1950-53)停戦協定は1953年7月27日に締結され、韓米相互防衛条約は同年10月1日に調印された。停戦協定は63項目からなる。第60項は、停戦3カ月以内に米国+北朝鮮+中国が政治会談を開き、「韓国からのすべての外国軍隊の撤収」問題を協議することを規定している。協定文案通りなら、53年10月末に米軍は韓国を完全に離れていたかもしれない。李承晩(イ・スンマン)大統領の韓国としては非常に危険な停戦だった。

金日成(キム・イルソン)は米兵がいない韓国軍ならいつでも払いのけられると信じていた。アイゼンハワー大統領は3万7000人の米軍が死亡したこの地を一日も早く抜け出したいという気持ちだった。米軍の撤収という点では、金日成とアイゼンハワーの利害関係が妙に一致したのだ。停戦協議はこうした利害関係の上で進行された。

 
李承晩は米国を相手に大胆な勝負に出た。李承晩は停戦協議に繰り返し反対した。ついに署名を拒否した。もし李承晩が協定に署名したとすれば、第60項のために米軍を引き止めておく名分を失ったはずだ。米国を相手にした最大の勝負は、6月18日0時に断行した反共捕虜釈放事件だ。米国+北朝鮮+中国間の停戦協議の最大の争点が捕虜交換問題だったが、この地点に爆弾を爆発させた。李承晩は米軍の作戦指揮権外にある韓国の憲兵司令官に命令を出した。韓国憲兵隊は捕虜収容所を守っていた米軍哨兵を武力で制圧し、2万7000人を脱出させた。これに驚いて朝にひげ剃りをしていたチャーチル英首相は顔を切り、米国のダレス国務長官はぐっすり眠っていたアイゼンハワーを起こしたというその事件だ。李承晩は韓国の単独行動でいくらでも停戦体制を崩すことができるという点を世界に知らせた。

李承晩の勝負は下手をすると墓穴を掘る可能性もあった。アイゼンハワーが問題の人物を除去し、新しい政権を誕生させるためのクーデター計画を検討したからだ。1975年に解除された米国政府機密文書には、「1953年にアイゼンハワーとダレス、統合参謀本部の各参謀総長は、李承晩を逮捕し、韓国を再び米軍政下に置く問題を考慮中だった」と書かれている(『写真と一緒に読む大統領、李承晩』106ページ)。


【コラム】李承晩、米国との大胆な勝負(2)

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