【コラム】米国の出口戦略、過度に恐れる必要ない=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.21 15:04
経済学者に関するジョークの一つが「片腕の経済学者」だ。トルーマン元大統領が「経済学者はいつも『一方ではこうで、他方ではこうだ』と話す。片腕の経済学者を連れてこい」と話したことに由来する。「片腕の経済学者」は、経済政策を決める経済学者に与えられたあいまいな状況と選択の苦悩を皮肉ったジョークだ。同じ言葉を米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長も聞いた。彼を議長に抜てきしたブッシュ前大統領は「(ベンは所詮)経済学者だからか、口を開けば『一方で…他方で…』と話す」とし「手が3つでないのが幸いだ」と話した。その一方で「歴史に対する感覚が非常に優れている」とし「柔らかいジェスチャーの裏には1930年代の失敗を避けようという強烈な決意がある」と絶賛した。
ブッシュの言葉のようにバーナンキは世界最高の大恐慌専門家だ。彼は金融加速器(financial accelerator)論を主張した。周期的に発生していた景気低迷が1930年代初めの大恐慌になったのは、銀行危機が加速器の役割をしたためという意味だ。1929年に株式市場の大暴落が発生した当時はまだ大恐慌ではなかった。しかし米政府が放置したことで、1933年に銀行危機が発生し、結局、大恐慌になった。08年に金融危機が発生した時、バーナンキが銀行危機を防ごうとした理由だ。事務室にベッドを置いて退勤もせずに出したのが量的緩和とゼロ金利だった。
大恐慌から学んだことは他にもある。大恐慌の後、米国経済が回復傾向を見せると、米政府は1937年に出口戦略を出した。翌年ダブルディップ(二番底)として深刻になったのはそのためだった。バーナンキが金融危機後に出口戦略を口外に出さない理由だ。彼は浮揚策一辺倒だった。金融を緩和し、米国債と住宅担保付証券(MBS)を買い取る量的緩和政策を3回も行った。08年に1次、2010年に2次、そして昨年始めて現在までしているのが3次の量的緩和だ。