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<大リーグ>柳賢振が三塁打…7勝目はならず

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.14 10:49
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「もう柳賢振(リュ・ヒョンジン)も私の息子だ」。朴賛浩(パク・チャンホ、40)を育てた監督として韓国野球ファンにもよく知られるトミー・ラソーダLAドジャース顧問(86)が13日(日本時間)、ドジャースタジアムで中央日報の記者に対し、「柳賢振は優れたピッチングを見せ、メジャーデビュー2カ月でドジャースの最多勝投手になった。私が要求した条件を柳賢振はすでに満たした」と述べた。

ラソーダ顧問は4月5日、中央日報のインタビューで、「柳賢振は序盤の数試合で勝利投手にならなければならず、粘り強い投球を見せる必要がある」とし「同僚とうまく付き合い、野球を楽しむ姿勢が必要だ」と話していた。

 
柳賢振はラソーダ顧問の期待を上回った。13日にドジャースタジアムで行われたアリゾナとのホーム試合では、救援投手の乱調で勝利投手にはならなかったが、メジャーデビュー後10度目のクォリティースタート(6イニング以上、3自責点以下)をマークした。

この日まで6勝2敗(ナショナルリーグ11位タイ)、防御率2.85(リーグ13位)と優れた成績を残している。ラソーダ顧問だけでなく、ドジャースの誰もが満足するほどの記録だ。さらに柳賢振は気さくな性格でチームメートと親しくなった。

柳賢振は1-3とリードされた5回裏二死二塁から三塁打を放ち、得点もマークすると、ドジャースのベンチはあたかもサヨナラ本塁打を打ったヒーローのように柳賢振を歓待した。三塁まで走ったことを労る意味で柳賢振の脚をマッサージする選手もいた。何よりも柳賢振の実力が優れているため、メジャーの大スターも柳賢振を友人として受け入れている。

ラソーダ顧問も柳賢振の実力と品格をともに認めた。1954年にブルックリン・ドジャースの選手としてメジャーリーグにデビューしたラソーダ氏は、引退後にドジャースのスカウト業務とマイナーリーグ監督を引き受けた。76年にドジャースの監督に就任し、通算1599勝をマークし、96年に指令塔から退いた。ラソーダ顧問は「柳賢振は照れくさいのか、先に話しかけない。今後、英語で話する日がくれば、彼の性格を深く把握できるだろう」と言いながら笑った。

柳賢振はこの日、6イニングを投げ、11被安打・3失点だった。柳賢振は試合後、「以前の2試合に比べて直球のスピードが出なかった。中4日の登板も負担になった」と語った。

ドジャース打線は9勝無敗のアリゾナ先発パトリック・ コービンに抑えられていたが、5回裏、「打者・柳賢振」の三塁打をきっかけに逆転に成功した。柳賢振はコービンの150キロの速球を右翼方向に打ち、2011年ナショナルリーグのゴールドグラブ受賞者、ヘラルド・パーラ(26)がダイビングしたが、捕球できなかった。打球がフェンスまで転がる間、柳賢振は三塁まで進んだ。本塁打より難しいという三塁打をメジャーで初めて放った。

ドジャース打線はその後4-3と逆転し、柳賢振は勝利投手の条件を満たした。しかしドジャースの救援投手が7回、すぐに同点を許した。ドジャースは延長12回の接戦の末、6-8で敗れた。

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    2013.06.14 10:49
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