連行された女性、日章旗をつけた孫基禎、米軍が撮影した日帝強占期
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.10 17:26
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捕虜になった韓国人慰安婦。写真の原本に「1944年8月14日、米軍G-2情報部隊機動隊員がミッチーナー(Myitkyina、ミャンマー・カチン州)付近で捕まった韓国人慰安婦(Korean Comfort Girls)を尋問している」と書かれている。
米国国立公文書記録管理局(NARA)の文書箱の中には、韓国人「性奴隷」(「慰安婦」という表記は日本軍の立場で使われた)20人に対する捕虜尋問記録がある。金儲けができるという話を聞いて連れていかれ、強制的に性奴隷になった事実が記述されている。NARAに所蔵された性奴隷関連の写真も彼女たちの苦痛を証言している。日本軍によって虐殺された韓国人女性の最期と推定される写真もある。最近、日本維新の会共同代表で大阪市長の橋下徹が「日本軍慰安婦」が強制動員された事実を否認し、戦時中の慰安婦の必要性を肯定する妄言まで吐く状況であるだけに、注目される。
植民地人として生きるということは、政治・経済・社会・文化、すべての領域で隷属した生活をすることを意味した。1936年8月9日、ベルリンオリンピック(五輪)マラソンの金メダリスト孫基禎(ソン・ギジョン)と銅メダリストの南昇竜(ナム・スンリョン)は、銀メダリストの英国のハーパーのように勝利を満喫できなかった。表彰台に立ち、主催国ドイツのヒットラー総統から月桂冠を受ける時も、世界の耳目が集中した中で表彰台から下りる時も、孫基禎と南昇竜の表情は険しかった。