正午に「故郷の春」流した対馬、いまでは韓国の痕跡消す動き(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.10.04 09:27
厳原後方の山にある上見坂展望台は天気が良い日には釜山港まで見える所だ。以前にここにあった案内文には「1624年宗重尚軍と阿比留軍が激しい戦闘の末に宗が勝ち対馬初代島主の座に就いた」と記されていた。だが、いま立っている新しい案内文には「宗が対馬統治者の阿比留を倒し島主の座に就いたという歴史は事実でない」と記されている。取材陣と同行したファン・ベクヒョン対馬研究院理事長は、「対馬島主の宗氏一族が韓半島から渡ってきた韓国系という学説を否定するために案内文を直したようだ」と話した。
韓国の一部学界では「対馬島主宗氏の先祖が釜山和池山(ファジサン)で葬儀を行った」という「東莱(トンレ)府誌」(1740年発行)の記録を根拠に、釜山東莱に住んだ宋氏が対馬に渡り宗氏に改名したという学説を提起している。