日帝強制徴用被害者支援委、22万人の証言を公開(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.08.21 08:43
父は強制徴用労働者だった。日帝強制占領期の1942年冬、日本北海道浅茅野飛行場に連れて行かれた。父を心配する息子は毎日のように手紙を送った。しかし翌年、息子も徴用された。九州の炭鉱から大阪の機関車会社へと移りながらきつい労役をした。36歳の父と17歳の息子はお互い安否も分からず、日帝の強制労働に耐えていた。
父も息子も日本では竹田と呼ばれた。父の名前はチョン・ヘピョン(1907-43)、息子はウシクだったが、ハングルの名前を呼ぶことはできなかった。43年の冬、息子は父の死を聞いた。強制労働で体を酷使したからだった。息子は年を越して父の遺体を探しに浅茅野へ行った。父の遺体は雪の中に放置された状態だった。息子は凍りついた遺体にガソリンをかけ、父を火葬した。45年に解放を迎え、息子は祖国に戻った。しかし父は永遠に戻れなかった。息子ウシクさん(86)は「徴用で私の青春も父も失った」と語った。