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米中の戦後史から生まれた“殲20の父”師昌緒氏(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.21 16:11
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17日午後4時25分(現地時間)、中国四川省成都にある航空機デザイン研究所飛行場。 グレーの戦闘機1機が滑走路から飛び立った。 中国が誇るステルス戦闘機「殲20」だ。 中国航空産業60周年記念日に合わせて2度目の試験飛行を行った。

「殲20」は中国が今年公開した野心作だ。 1月11日にゲーツ米国防長官が米中軍事会談のため中国を訪問した際、最初の試験飛行で姿を現し、世界の耳目を集中させた。 米国では当時、ゲーツ長官の訪中に合わせて中国が「殲20」を飛ばす形で強まった空軍力を誇示したのではないか、という主張が提起された。

 
中国の次世代ステルス戦闘機「殲20」保有は、元老科学者の力と熱情による部分が大きい。 今年で91歳となる師昌緒中国科学院・工程院院士がその主人公だ。 中国メディアによると、師昌緒氏が「殲20」エンジンのプロペラに必要な特殊合金を製造したことで、中国が独自の技術で次世代戦闘機を製作するのを可能にしたという。 このため中国人は師昌緒氏を「殲20の父」と呼ぶ。 

皮肉にも師昌緒氏の今日があるのは米国のおかげだ。 師昌緒氏は1948年、国費留学生試験に合格し、国民党政府が発行した旅券を持って米国に渡った。 ミズーリ大学とノートルダム大学で修士・博士学位を受けた。 

その後、師昌緒氏の国籍が問題になった。 中華人民共和国が成立すると、師昌緒氏をはじめとする米国内の中国留学生の旅券が効力を失ったのだ。 さらに韓国戦争(1950-53)までが始まり、米国と中国は敵国になった。 米移民帰化局は留学生の出国を禁止させた。 機密扱いの物質を研究した留学生が帰国後、中国軍事分野で働く可能性があるという理由だった。


米中の戦後史から生まれた“殲20の父”師昌緒氏(2)

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