米中の戦後史から生まれた“殲20の父”師昌緒氏(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.21 16:11
マサチューセッツ工科大学(MIT)で研究員生活をした師昌緒氏は帰国闘争に乗り出した。 出国許可を要請する嘆願書を200枚ほど印刷し、メディア・国会議員・社会団体に送った。 54年の春、周恩来総理がジュネーブ会談に出席するという消息に助けを求める手紙を送ったりもした。 8月10日にはアイゼンハワー大統領に手紙を書いた。 米中間で交渉が始まった。 当時MITで超高強盗鋼鉄を研究していたコーアン博士は師昌緒氏に尋ねた。 「なぜ帰国するのか。賃金も少なく地位も低いはずなのに」。師昌緒は「私は中国人です。 米国には私のように人はたくさんいます。 中国では私のような人が少ないので強く必要としています」と答えた。 55年春、米国と中国は韓国戦争で捕虜になった空軍操縦士15人を含む米国人56人と米国の中国人留学生76人の交換に合意した。
帰国後、師昌緒氏は瀋陽中国科学院金属研究所に配置された。 当時、中国は国際的に孤立した状態だった。 ニッケルとクロムが絶対的に不足していた。 師昌緒氏はこれに代わる鋼鉄合金の開発に没頭した。 まもなく鋼鉄高温合金808(GH135)の開発に成功した。 航空機タービンエンジンとミサイル「東風31」エンジンにこの合金が使われた。