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【社説】歴史がG8に戻ることはできない

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.11.11 10:57
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20世紀半ばの世界の区画整理を思うままにしたのは3~4カ国の大国だった。米国・英国・ソ連・中華民国がカイロ・ヤルタ・ポツダムに集まり多くの国の運命を決定した。1945年の終戦以後、安保・軍事的に世界は米ソの二極体制を経験した。経済的にはオイルショックを経て75年に先進7カ国(G7)体制が始まった。1990年代にロシアが加わりG8となった。政治・軍事は国連安保理常任理事国5カ国が、世界経済はG8が握った。中国・インド・ブラジル・韓国のような新興国が声を上げたが世界経済での彼らの配役は取るに足らなかった。

しかし世界はG8が支えるには大きく複雑になった。1998年のアジア通貨危機を迎え世界はG20財務相会議を作った。2008年秋には恐ろしい経済危機がさく烈し、世界経済は新しく強力な操舵室を求めた。そうして誕生したのがG20首脳会議だ。ワシントン・ロンドン・ピッツバーグ・トロントを経てG20はそれなりに人類の要求に応じた。景気振興、金融安定委員会(FSB)のようなシステム調整、保護貿易けん制などを通じ世界経済はひとまず台風の影響圏から抜け出した。G20首脳会議はいよいよ世界経済を議論する最上位フォーラムに浮上した。

 
ソウル会議は従来とは違った新しい意味を持つ。世界が台風圏から抜け出し本格的に「危機後(post-crisis)の経済」を扱うことだ。しかしその意味ほどに挑戦も新しい。第1~4回会議に劣らずソウル会議は波が高い。フィナンシャルタイムズのコラムニストの指摘通り、G20は7つ対立軸を中心に分かれている。貿易黒字と赤字、為替相場操作と被操作、財政緊縮と拡張、民主と独裁、西側と非西側、通貨主権干渉と不干渉、大国と小国だ。ここに米国の量的緩和、経常収支ガイドライン、金融安全網をめぐっても分かれている。だが、問題がない時期はなかった。成果が目標の100%でも50%でも、G20は世界経済の最上位の操舵手として成長していくだろう。歴史がG8に戻ることはできない。

G20ソウル会議は韓国人にとって意味が一層格別だ。1907年に大韓帝国の皇帝は消えいく帝国の息づかい生かそうとハーグ万国平和会議に特使3人を派遣した。しかし外交権を奪われた大韓帝国は会議出席さえ許されなかった。李儁(イ・ジュン)烈士は憤りを抑えきれず自殺した。3年後に大韓帝国は日帝に併合され世界地図から消えた。45年に強大国の助けで解放されたが、領土は分断され3年戦争の惨禍を体験した。このように大韓民国という国は世界の辺境で疎外され、貧しく苦しみ絶叫した。

韓国の疾走は1970年代に始まった。漢江(ハンガン)の奇跡があり、世界の歴史上最も短い期間で産業化と民主化を成し遂げた。88年のソウルオリンピック、2002年のワールドカップに続き、韓国はG20首脳会議議長国になった。「ハーグ憤死」から103年目だ。これまでG20首脳会議を主宰した国は米国・英国・カナダだけだ。G8に属さなかった国のなかで韓国が最初に首脳会議議長国になったのだ。辺境から中心に移動する韓国の動線を世界が認めたのだ。ソウルに鳴り響く「世界操舵室」の騒音は世界最悪の閉鎖国家北朝鮮に衝撃的なメッセージになるだろう。

韓国人はしかしワイングラスだけを手にすることはできない。ソウル会議を新しい跳躍に向けた契機にしなければならない。G20首脳会議議長国になったということだけでグローバル先進スタンダードを自動的に保証されるものではない。韓国社会は挑戦により脅威を受けている。天安(チョンアン)艦事件に見るように理念で引き裂かれており、国会騒動に見るように政治後進性に苦痛を受け、4大河川反対に見るように理性と科学が揺れている。国は議長国だが国民は私教育と二極化・青年失業で大変だ。

きょうG20首脳らは北東アジアの片隅にやって来るが、韓国は世界の中心に進まなければならない。G20首脳会議が政権の祭りではなく、国民の踏み台になるようにしなければならない。政権だけが満足していれば辺境であり、国民が未来に希望を持ってこそ中心国家だ。

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