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日帝に抵抗して断食・殉国した李中彦の精神が蘇る

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.10.16 10:06
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日帝に対抗して死で節義を守った独立運動家の精神が100年ぶりに語録碑を通じて蘇った。

 
独立記念館は15日、忠清南道天安市木川邑(チュンチョンナムド・チョンアンシ・モクチョン)の同記念館構内にある詩語録碑公園で、李中彦(イ・ジュンオン、1850-1910)の語録碑(1.5×4.9メートル)の除幕式を行った。同館は開館以来、審議を経て独立運動家らの語録碑を建て続けてきたが、今回で97番目となる。

李中彦は1905年に乙巳条約が締結された後、死を覚悟して漢陽(ハニャン、現在のソウル)へ向かい、「請斬五賊疏(逆賊5人の首を切るべき)」と訴えた。1910年の庚戌国辱(韓日併合)後、倭敵(日本)の治下では生きていくことはできないという決然たる意志から9月8日に断食を決心した。李中彦は翌日、日帝に警告の文を書いた。

語録碑には「一寸の揺れもなく、奪われた祖国のためこの命を投じる」という当時の文字が刻まれている。李中彦は断食から27日後の10月4日、「述懐詞」を詠みながら奪われた祖国を嘆いた後、殉国した。政府は62年に建国勲章・独立章を叙勲した。

安東下溪(アンドン・ハゲ)村で退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)の第11代として生まれた李中彦は大科(科挙の文科)に合格し、司憲府(サホンブ、朝鮮時代の官庁)の持平(ジピョン、司憲府の官吏)など諸官職を務めたが、1890年に故郷へ移った。

2006年に「殉国の士・李中彦」という評伝を出した安東大学の金喜坤教授(キム・ヒゴン)は「自決による殉国は、祖国を失った文官が選んだ最も強烈な抵抗だった」とし「新たな親日派と日本の帝国主義の復活を防ぐため、李中彦のような韓民族の知性の精神を復活させるべきだ」と述べた。


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