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【中央時評】韓国を愛してるって?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.09.20 14:19
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大衆音楽グループ2PMの一メンバーが数年前にこの国を卑下したという理由で、まるで追放されるかのように出国した事件が数日前にあった。奇遇にも最近、時差を置いて同じようなことが起きている。KBS2トークショー「美女たちのおしゃべり」で、素朴な話ぶりで人気だったニュージーランド出身のキャサリンが、ある新聞のインタビューで、普段とはまったく違う批判的なことを話したということで降ろされてしまった。また、同じ番組に出演していたドイツ女性ベラも同じような境遇に追い込まれた。ドイツで彼女が出版したエッセイ「ソウルの眠れない夜」に韓国を否定的に描いた部分が多いというのがその理由だ。

家を出れば苦労するものというのに、計り知れない不慣れな感覚とギャップにもかかわらず青い目の外国人が韓国を愛するようになったと告白したときは、率直に言ってちょっと疑問に感じたのも事実だ。この国が彼らに個人的な「チャンスの地」になったということに対するありがたさの表現なのか、またはこの社会でうまく行く手腕を得たということなのかと疑ってみたりする。

逆に西欧の地で10年、20年暮らしている韓国人たちの話を聞いてみれば、暮らしているその国を愛するどころか悪口を言わなければいい方で、いくら長く過ごしても根付けないという錯雑した嘆きを聞くことが多い。そんな点で外国人の美女たちが我々の社会と人々の弱点を指摘しながらも画面ではにこにこと笑い、楽しいおしゃべりばかり分かち合ってきたと思ったらぞっとする。

2PMを自ら辞退してシアトルに追われるように帰ったメンバーは、22歳の在米同胞3世だ。米国社会で成長した少年が、初めて韓国へ来たとき、適応しにくいのは当たり前のことだ。自分ではない他人である以上、自分とは違う意見を言うことも当然だ。こんなに当たり前なことを受け入れることができなければ、その社会は本当に問題が深刻だというほかない。

先立って触れたニュージーランド出身女性が韓国の問題の内と外に同時に精通しているという点がむしろありがたいという思いまでする。彼女の指摘した言葉はとても骨身にしみた。韓国人たちは「自我がない」というのだ。西洋文学と文化をかなり長い間勉強してきた人々からこれと等しい言葉を聞いたことがあるが、驚くべきことに若い西洋の妻子が韓国人全体に対してこう一喝した。西洋式絶対的個人の観念に乏しい我々としてはあまり耳にすっと入ってこない言葉だ。

前世紀1960、70年代の我が国の様子を振り返ってみれば、その時代には町のあちこちでけんかとなることがかなりひんぱんにあった。そのたびに決まって聞く大声はまさに 「私を誰だと思ってんの?」だった。それに対して「お前が誰かだって?」と問い返せばその返事は十中八九「私の遠い親戚が○○よ!」だった可能性が高い。もしかしたらこの返事の21世紀式パロディーバージョンは「私はE大を出た女よ!」かもしれない。

たぶん韓国人の「自我」は長い間まさにそんなものだっただろう。姻戚によって決まる自我はないのに。とても長く、そうしながら暮らしてみると、その未熟な恥部が青い目の妻子にあっという間にばれてしまったわけだ。自尊心を傷つけられることだ。

大韓民国は若くて躍動的だ。しかし多方面に見たとき、決して大人らしいとはいえない。ちょっとしたことだけ例に挙げても顔が赤くなる。初心者ドライバーに忠告すると言って、車線を変えるときウィンカーはつけるなと教える文化、狭いトイレにいっぺんに集中して入りぞろぞろ並べば安心する文化、窓口で相談している人のすぐ後ろにぴったり付いていればこそ気が済む文化、見知らぬ人に先に笑ってあいさつすれば相手に屈したことになる文化、声の大きい者が勝つ文化、が、大人らしいとはいえないだろう。

甘えてはいけない。自分と他人のギャップを認め、他人を尊重することができる時だけが自分の存在の空しさも免れることができるという認識の転換が必要だ。自分たちの短所を指摘するあらゆる声を、開かれた心で受け入れて心に刻むことができれば、自我がある大人だ。長い間、西洋は物質文明で我々は精神文明だと主張してきたが、こんな言葉もこれからは幸せ指数の最も高い国にお返しする方がいい。えせ道士のように 「心を無にしました」などと言わず、「他人行儀だ」と片意地を張らずに、物質的な生き方を率直に認めながら、もう少しさっぱりと生きてみることもできないか。(チョン・ジェスク文化部デスク)

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