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死者への願い込められた「金銅飾履」出土…百済細工術の極致

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.24 16:38
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精巧な龍頭装飾… 5世紀百済の金銅履き物…5世紀百済の金属工芸の高い芸術境地を見せる金銅履き物がほぼ完全な状態で出土した。全羅南道羅州伏岩里の丁村古墳の石部屋の墓から出たこの遺物は、金銅飾履と呼ばれる古代の副葬品だ。特に足の甲の先端部分には、取り外し可能な龍頭装飾がつけられていて学界から非常に大きな関心を集めている。死者の魂が空に登っていけるように祈った当代人の心を垣間見ることのでꮂる象徴だ。履物の大きさは長さ32セン、高さ9センチで、足首部位に2センチ幅の金銅板が重ねられている。靴底には現代のサッカーシューズにも見られるような頑丈で美しいスパイクのようなものが打ち込まれている。
黄金色に輝く稲が波打つ羅州平野をひと目で見下ろせる全羅南道羅州多侍面伏岩里山(チョルラナムド・ナジュ・タシミョン・プクアンリ・サン)91番地。羅州市郷土文化遺産13号に指定された丁村(チョンチョン)古墳は、5世紀の栄山江(ヨンサンガン)流域を支配した勢力の強大さを立証する歴史の現場として再発見された。23日、国立羅州文化財研究所(所長イ・サンジュン)は、従来には見られなかった百済の金銅製の履き物や金製の耳飾り、馬具など、さまざまな埋葬施設から発掘された出土品を公開した。

同日初めて公開された百済時代の金銅製の履き物は、なかでも群を抜いて目を引く最上品だった。専門用語では「金銅飾履」という。イ・サンジュン所長は「かんざしのように履き物に飾られている竜の頭は、現在までで唯一の遺物。これまで発見されている馬韓・百済圏の金銅飾履にもこのような装飾物が付いていた可能性がある」と明らかにした。重くて丈夫なこの金銅飾履は死体を墓中に安置する時、一緒に埋葬される副葬品の一種だ。

 
学界では、栄山江流域を掌握していた馬韓の実力者が死んだ時、百済権力層が彼を称えて授けた下賜品と見ている。イ所長は「これまで忠清南道公州(チュンチョンナムド・コンジュ)の武寧王陵(ムリョンワンルン)などで金銅飾履は発見されているが、部分的に毀損している状態だった。しかし、今回出てきた丁村古墳の金銅飾履は竜文様の装飾を含み、完ぺきな状態で出土した」として「空前絶後の遺物であるだけに、この様式と文様はすでに特許申請をした。今後さまざまな方法で活用することにしている」と明らかにした。

大田(テジョン)大のイ・ハンサン教授は「高句麗・新羅はもちろん、倭の工芸技術まで吸収している優れた出来栄え」とし「百済のデザイン感覚と工芸技術が総投入された傑作」と説明した。特に靴底に彫られた竜は、鼻と耳、歯の描写など正面の姿を大胆かつ精密に透刻し、今見ても驚くべきものだと評価した。これまで竜文様は主に側面形態が多かった。

全北(チョンブク)大のキム・ナクチュン教授は「5世紀中・後葉に馬韓勢力が百済化の道に入っていく様子示す古墳と遺物」と分析した。キム教授は履き物に彫られた蓮華文様、すなわち蓮弁文と竜の結合が仏教的な要素を色濃く表していることに注目している。履き物が持つ象徴性は、亡くなった者が来世で復活するように願う意味を持っており、その闊達で明快な細工術がこれを裏付けているという。

この他に、金製の耳飾りや装身具などは、単純ながらも洗練された美的感覚が新羅と大加耶など隣接国の技術を吸収した後に変容した百済の力を感じさせている。矢筒に含まれている鉄製の矢が大量に出土したのも珍しいケースだ。

このように多様ながらも保存状態の良い遺物が長い歳月盗掘されずに1600余年ぶりにこの世に出てきた理由は何だろうか。地域の村老の証言によると、この蜂の巣形態の古墳群を上から見下ろすような格好であずま屋が建てられていて、この建物が一種の保護施設的な役割をした。発掘調査を担当した国立羅州文化財研究所は、来年開所10周年を迎え、この地域を仮称「龍飾金履塚」と名付けて伏岩里一帯の馬韓勢力の地位と対外交流史の復元に努めることにした。

◆金銅飾履=葬儀に使う装飾用の履物。精巧な文様が彫られた金銅板で作られている。三国時代、特に百済で多く製作されたと伝えられている。公州の武寧王陵、公州の水村里(スチョンリ)古墳群、高敞(コチャン)の鳳徳里(ポンドクリ)1号墳など、馬韓・百済圏の13の遺跡で合計17点が出土した。死者の魂がより良い場所に昇っていけるよう願う子孫の願いが履き物という象徴性に込められている。

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