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「三菱強制徴用」被害者のシム・ソンエさんが死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.22 14:09
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戦犯企業の三菱に強制徴用された被害者シム・ソンエさんが亡くなった。享年88歳。

22日、市民団体「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)と共にする市民の会」によると、シムさんは前日午後6時20分に亡くなった。焼香所は光州(クァンジュ)キリスト病院葬儀場に設けられ、出棺は23日。

 
シムさんはパーキンソン病で光州のある療養病院に入院して治療を受けていたが、最近病状が悪化した。シムさんは1930年、光州北区で3男6女の2人目として生まれ、1944年光州壽唱(スチャン)小学校(当時のプクジョン公立国民学校)を卒業した。同年5月、「日本に行けば収入も得られて勉強もできる」という話を聞いて日本行きの船に乗った。

シムさんは三菱重工業名古屋航空機製作所で飛行機の付属品の形を整える仕事に就いた。シムさんの名古屋生活は期待とは違い苦痛の連続だった。飛行機付属品を整える仕事に配属されたが、一日もまともに休めないままノルマをこなさなくてはならなかった。また、食事もきちんと取ることができず、飢えた生活の連続だった。

シムさんは「仕事も上手にできなかったうえ、割り当てられた作業量をこなすことで精一杯なのに、監視まで厳しくて、若い私たちが我慢するにはとても厳しい環境だった」と当時を回想した記録を残すこともした。その後、シムさんは1945年に富山三菱工場に移された。

空腹を忘れるために熟していない生柿を拾ったり、野原に出て花をちぎって食べるなどさまざまな苦労を経験して、解放後に故郷に戻った。日本から戻ってきたという理由と当時受けた苦痛の中で生きなければならなかった。そんな中で強制徴用の苦痛を味わった夫と出会い2男4女をもうけたが、1987年に夫に先立たれて女手一つで子どもたちを育て上げた。

20余年間パーキンソン病で闘病生活を送っていたシムさんは、2014年に他の被害者3人とともに三菱を相手取り国内の2次損害賠償訴訟に参加した。

市民団体が把握している勤労挺身隊被害生存者は昨年2月末基準で5245人で、特に光州は121人、全羅南道(チョルラナムド)は544人だ。

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