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<74年文世光事件>文世光の第4発目が陸氏に命中

2005.01.20 19:20
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1974年8月15日午前10時23分。光復(独立)節29周年の記念式典が行なわれていたソウル獎忠洞(チャンチュンドン)の国立劇場。朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領が記念式のあいさつをしていた。

「祖国の統一は必ず平和的な方法で...」。ちょうど、その時、発砲音が続いた。突然、銃撃戦が行われ、式場は修羅場となった。壇上の椅子に座っていた朴元大統領夫人・陸英修(ユク・ヨンス)氏が倒れた。犯人の文世光(ムン・セグァン)は、現場で即座に逮捕された。政府は、特別捜査本部を設け、捜査を行なった。20日に公開された文書には、当時の状況が比較的詳しく記されてある。

 
◇現場の状況=文世光は同午前8時ごろ、朝鮮(チョソン)ホテルを出て国立劇場へ向かった。劇場の入り口を無事通過した文は、式場の入り口で1回の検問を受けたが、日本語を使って貴賓になりすましていたため、入場に成功した。記念式が始まってから、しばらくした後。

左側の列の一番後ろの座席(B列214判)に座っていた文世光は携帯していたけん銃を持ち出し、席から立ち上がった。しかし、誤った操作で最初の銃弾は、自身の太ももを貫通した。その直後、文世光はびっこを引きながら演壇へ向かった。

「パン」。2度目の鉄砲玉が朴元大統領が立っている演壇の左側に打ち込まれた。朴元大統領は、即時姿勢を低め演壇の後ろに身を隠した。3度目は、不発弾。そして、4度目の鉄砲玉が陸氏の右側の頭に命中した。ある出席者が、文世光を倒させたが、文はもう1発を発砲した。

この銃弾は、演壇の後ろにある太極旗(テグッキ、注:韓国の国旗)に打ち込まれた。わずか5~6秒の間に起きたことだ。陸氏は直ちに付近のソウル大病院に運ばれ、2回にわたる手術を受けたが、同午後7時息をひきとった。文世光は第1~3審の裁判で死刑を言い渡され、事件発生から128日後の同年12月20日、死刑に処された。

◇残る疑問点=最も大きな疑問点は「果たして文世光の鉄砲玉が陸氏に命中したのか」だ。疑惑を提起する側は「現場のビデオなどを判読してみると、文が発砲した5発のうち1発は、演壇の上の天井にあたった」と主張する。太もも、演壇、太極旗へ向かった3発と不発弾を除けば、残るのは1発。その1発が天井にあたったならば、陸氏に命中した鉄砲玉は、どこから発砲されたのか、とのこと。

当時、現場では計7発が発砲された。さらに2発があるのだ。そのうち1発は、警護員が文世光を狙って発砲したもので、合唱団の女子高生にあたった。そのため、残り1発をめぐる議論があったが、最終的に「文世光の4度目の鉄砲玉」が陸氏に命中し、死亡した、とのことで結論付けられた。

当時、捜査当局の周辺には「第3の発砲者」がいる、という未確認のうわさが広がっていて、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)などは「陰謀説」を主張したりもした。

▽文世光が入場許可証も持っていない状態で、大統領が出席する行事会場に無事入場できた点▽金浦(キンポ)空港入りする際、トランジスターラジオにけん銃を隠してきたが、全く摘発されていない点▽日本人名義の偽造パスポートで在日韓国人の査証(ビザ)を獲得し、韓国入りした点--などが納得しがたい、との主張だったが、それほど大きな説得力は得られなかった。

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