【コラム】韓国の成功は偶然か、必然か
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2026.03.13 15:34
1963年10月の大統領選挙で野党の尹潽善(ユン・ボソン)候補は454万6614票(得票率45.1%)を受け、軍政を終わらせて民政に参加することにした朴正熙(パク・ジョンヒ)候補の470万2640票(得票率46.6%)にわずか15万6000票の差で惜敗した。キリスト教の元老らが立ち上がって元外務部長官の卞栄泰(ビョン・ヨンテ)候補の辞退を勧めたが、彼は最後まで自身の人気を信じて完走して22万4000余票を受けた。そのほとんどが当時の野党支持票だった。歴史に仮定はないというが、当時、卞栄泰候補が辞退していれば韓国の歴史はどう流れていただろうか。当時、朴正熙候補は46歳で、尹潽善候補より20歳も若かった。尹潽善候補が朝鮮時代の士大夫の両班家出身だったのに対し、朴正熙候補は慶尚北道亀尾(クミ)の貧しい小作農家出身だった。その後の歴史がどう流れてきたかは我々が知るところだ。
近い時期では李仁済(イ・インジェ)候補が1997年の大統領選挙で辞退していれば。沈相奵(シム・サンジョン)候補が2022年の大統領選挙で辞退していれば。歴史はそのように流れる。小さな差が大きい差として固まって歴史は流れる。小さな分岐点を経て水がこちらにもあちらにも流れることがあるが、その水はなぜかその方向に流れて川となり、今日に流れてきている。時間が過ぎて振り返る時、それが運命だったというべきか、または大衆の力と民族の業と時代環境が一体となった必然というべきか。とにかく、その流れが続いて我々は今日を生きている。今でも後日に歴史の仮定を想像してみることが我々には起きている。それだけ我々が選択する一つ一つの今日の決定が集まり、我々が身を置いて生きる国家と社会の水の流れを形成することになる。過去の70余年間、大韓民国は世界史に見られなかった圧縮的成長を成し遂げた。これは経済だけでなく民主化、文化発展の面でもそうだ。