<創刊企画「大韓民国トリガー60」㊻>「私より給料多い」 朴正熙大統領が迎えた科学者18人、K技術の始まり(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.11.04 15:32
1962年1月、経済企画院が当時の朴正熙(パク・ジョンヒ)国家再建最高会議議長に「第1次経済開発5カ年計画」を報告した。朴正熙は予想外の質問をした。「現在の我々の技術水準と技術者で目標を達成できるのか」。
当時、韓国は研究開発の不毛地と変わらなかった。李承晩(イ・スンマン)大統領が59年に設立した原子力研究所があったが、特殊分野の研究に限られていた。残りの研究所は政府が自ら「ほとんど生産品の試験にすぎず、研究実験分野には着手できないのが実情」(『1962科学技術白書』、経済企画院発刊)と自評するほどだった。