100年ぶりに日本から韓国に戻ってきた「観月堂」…続く悲運の歴史ミステリー(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.06.25 10:48
しばらくの間学界では景福宮内にあった可能性が提起されが、この日の懇談会でソウル大学のイ・ギョンア副教授(建築学)は「当時の地図資料と北闕(プックォル)図形、東闕(トングォル)図など様々な文献を見ると、その可能性は希薄だ」と話した。宮殿や宮家の17~20世紀の建築物に比較すると、七宮 〔現在の青瓦台(チョンワデ)内に位置する朝鮮王宮の祠堂〕の部材や儀仗の格式が似ているが、七宮の70%の大きさという点などから、大軍級王宮祠堂と推定された。
華やかな丹青も注目すべき要素だ。国家遺産庁のソン・ヒョンスク文化遺産専門委員は「1834年に再建された昌徳宮通明殿(チャンドックン・トンミョンジョン)と類似しながらも19世紀後半の王宮丹青の特徴まで含むなど多様な時期にわたっている」とし「宮殿の建物ではないが、王宮側が管理した事例とみられる。丹青の様式研究に向けた史料的価値が非常に大きい」と判断した。