傍らで見たノーベル賞小説家・韓江…句点ひとつも軽々しく打たなかった(2)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2024.10.13 11:31
私は、自分がこの作品の最初の読者という事実がいつも誇らしかった。原稿が到着すれば出力するが、出力した物を持ってプリンターから机3~4つを経て自分の席に戻る道に少しときめいたりもした。それは読者らが毎日連載を読む気持ちと変わらなかった。『少年が来る』は1980年5月18日から10日間あった光州民主化運動当時の状況とその後に残された人々の話を描いた作品だ。編集の考えは置いておきただ目で読んだ最初の読書の瞬間、その時私はたくさん泣いた。作家に送るメールに感想を書くたびに、この人物をどうにか描き出している作家の安否がしばしば心配になった。依然として5・18のトラウマを抱えて暮らしている人々を慰めるため全力を注いでいる作家を慰める人は最初の読者である編集者であるはずなのに。メールをやりとりする回数が増えこうした気持ちをさらに頻繁に交わすことができて良かった。そして早く連載が終わることを、作家がさっさとこの作品を振り払い少し安らかな気持ちになることを願った。
作家と直接会ったのは連載をすべて終えた後だった。数カ月間メールをやりとりし通話をしたからか久しぶりに会った人のようだった。写真の中の浅い微笑の明るい顔だろうと漠然と考えたが、作品に全てを吐き出したかのようにやせて疲れた体と心が明確に見え胸が痛んだ。『幼い鳥』一羽が抜け出たようなしかばねたちの言葉のない魂を慰めるためにろうそくを灯す小説の中の16歳の少年が重なって見えた。上下に黒い服を着た姿が依然として小説の中の人物を哀悼するように感じられたりもした。