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韓国政府から初めて勲章を受けた日本人…朝鮮人は「私たちの弁護士」と呼んだ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.09.13 15:32
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11日、「布施辰治と石巻」をテーマに開かれている展示会 [写真 チョン・ウォンソク特派員]
宮城県石巻市では韓国人にとって意味深い展示会が開かれている。日本人で初めて韓国政府から建国勲章を受章した布施辰治弁護士(1880-1953)を称える展示会だ。

2017年に公開されたイ・ジュンイク監督の映画『朴烈(パク・ヨル)』で朴烈・金子文子夫婦を弁護しながら印象深い弁論をした日本人弁護士が布施弁護士だ。布施は1919年2・8独立宣言に参加した在日朝鮮人留学生と「国家転覆謀議」容疑を受けた朴烈・金子夫婦の弁論をした。日本人・朝鮮人など国籍を問わず人権擁護のために力を注いだ布施は1932年、法廷冒とくで弁護士資格を剥奪されるという試練も経験した。韓国政府は2004年、布施辰治に建国勲章愛族章を追叙した。

 
11日、「布施辰治と石巻」という特別展が開かれている石巻市博物館を訪れた。博物館の研究員であり今回の展示を担当した伊藤匠氏の案内を受けて資料保管室に入った。一般人は出入りが統制されているたところだ。

布施は日本敗戦直後の1946年、朴烈烈士に関する本を執筆した。「運命の勝利者朴烈」と題した本で、資料保管室には草稿と初版印刷本が保管されていた。草稿を見ると「朝鮮の独立運動に敬意を表し、日本の朝鮮侵略を心から申し訳なく思う」という部分が目に入った。後日、布施はこの内容を日帝強占期の『新朝鮮』という雑誌に掲載し、日本検事局から取り調べを受けたと明らかにした。

布施が残した原稿は筆体が違っていた。伊藤氏によると、手の震えが深刻だった布施は多くの原稿を事務室の同僚が書き取るようにしたという。草稿などと共に資料保管室には朴烈・金子文子夫婦、義烈団員など朝鮮人を無料で弁論しながら収集した法廷資料、東洋拓殖株式会社を相手に全羅南道羅州郡宮三面(ナジュグン・グンサムミョン)土地取り戻し運動をした当時に収集した資料、ソウル・大邱(テグ)などで行った巡回講演資料もあった。

日帝に対抗してさまざまな活動をした布施を当時の朝鮮人は「私たちの弁護士」と呼んだ。布施が死去した当時、葬儀に送られた七言絶句形式の哀悼詩も残っていた。

保管室の資料は一般に公開されなかった。一般人が観覧できる展示会は、大型常設展示館の片隅にある10坪ほどの特別展示館に設けられていた。

そこには布施が人権と労働運動、朝鮮人のために献身したという評価と共に、学生時代の物品、弁護士の法服などを展示していた。平日のためか、取材をする3時間に展示室を訪れた観覧客はいなかった。

伊藤氏は「展示室が狭い影響もあるが、5000点にもなる膨大な資料を所蔵しながらも公開できないのが残念だ」とし「今からでも持続的に研究して新しい展示を企画してみたい」と述べた。

9月13日は布施の忌日だ。布施を称えるための顕彰碑は石巻市の住宅街の教会付近にある小さな公園の中に設置されている。ここでは毎年、布施を称える追悼会が開かれる。

「布施辰治を顕彰する会」の会長を務める松浦健太郎弁護士は布施について「日本の法曹界で尊敬されている人物だが、一般的にはあまり知られていない」とし「毎年地域から始めて、布施の行跡を称えながら広く知らせていきたい」と話した。

顕彰碑には布施が座右の銘とした言葉が碑石に刻まれていた。「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」。

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