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不思議なことに日本人が押し寄せる…ホットプレイスになった韓国蔚山の「田舎城郭」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.05.28 09:57
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蔚山(ウルサン)地域のある城郭に日本人がひっきりなしに訪れている。観光地として特に開発されてもおらず、売店や休憩所のような便宜施設は何もないが、タクシーや地域内バスなどを乗って訪れ、時間を過ごしてまた戻っていく。田舎の城郭は蔚山市蔚州郡西生面(ウルチュグン・ソセンミョン)郊外にある「西生浦倭城」だ。



 
◇西生浦倭城を訪れる日本人たち

27日、蔚山市・地域文化解説士などによると、今年に入って西生浦倭城を訪れた日本人は70人ほど。1カ月平均で少ないときは10人、多くて20人以上訪問している。団体で訪れるが、城郭の平面図や測量装備のような専門装備・資料を持って一人で訪れる日本人も多い。コロナ禍前にも同じような水準で日本人訪問客が訪れていた。蔚山のある文化観光解説士は「日本の大学教授から古城関連の専門団体メンバー・学生、観光客まで各界各層の日本人が西生浦倭城を訪れる」としながら「数年前には日本城郭協会のメンバー120人余りが団体で来たこともある」と伝えた。

◇コンテンツはこれといってなにのに…なぜ?

日本人たちは西生浦倭城に来ると、入口にある石垣に近付いて「登り石垣」と言いながら写真を撮ったり仔細に見学したりするという。その背景は1593年に遡る。西生浦倭城は1593年壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、倭将の加藤清正が蔚州郡近隣にあった朝鮮水軍「万戸鎮城」を崩してその石を持って来て海抜133メートルに築いた城だ。東西350メートル、南北250メートルの大きさで、面積は9万1453平方メートル。山の頂上に本丸を築き、山の傾斜面を使って下りながら二の丸・三の丸で取り囲むように城壁が作られている。長い時間は過ぎたが毀損がほぼなく、当時の倭城の姿をよく保存している。

◇よく保存された倭城が「コンテンツ」

日本では加藤の性で知られている。加藤は日本では尊敬されている武将という。加藤が朝鮮に築いた城がよく保存されているため日本人も関心が高い。西生浦倭城を作った加藤は蔚山都心にある蔚山倭城を築造したことでも知られている。

日本では西生浦倭城を学術的にも価値のあるものとしてみている。日本人研究者グループである城郭談話会が現地調査を行ったこともある。グループは西生浦倭城現場調査に基づき、2002年『倭城の研究 第5号 特集:加藤清正の西生浦倭城』という本を出した。

◇日帝指定文化財に「格下げ」

西生浦倭城は現在の蔚山市の文化財資料だ。当初1963年史跡第54号に指定されたが、政府が日帝指定文化財を再評価して1997年に格下げした。そのため駐車場や簡単な西生浦倭城を紹介する看板程度があるだけで遺物を集めた展示館のような別途の施設はない。西生浦倭城関係者は「背景を問わず、歴史の痕跡という側面で管理している」とし「日本人を問わず、地域学生の野外体験学習場所としても人気がある」と伝えた。

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    2024.05.28 09:57
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    特別な観光コンテンツはないが、日本人がひっきりなしに訪れる蔚州郡(ウルチュグン)にある西生浦倭城。 キム・ユンホ記者
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