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「大きな侠客は民のために献身」 金庸生誕100年迎えて中国が再照明

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.03.19 14:22
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「侠之大者 為国為民(義侠を思う大者は、国のため民のために働く)」

16日中国、浙江省海寧には高速道路料金所を出るとすぐにこの八文字が至るところに掲げられている。海寧はペンネーム「金庸」として広く知られた香港の武侠小説家でジャーナリストだった査良鏞(1924~2018)の故郷だ。

 
前述の文面は金庸の小説『射鵰英雄伝』でモンゴル族の侵入に対抗した侠客の覚悟として有名だ。だが、最近中国では愛国主義傾向と重ね合わせて強調されている。習近平国家主席が2020年から好んで使っている「国を思う大者(国之大者)」発言と似ているからだ。今月10日に生誕100周年を迎えた金庸が中国内で改めてスポットライトを受けている現象もこれと無関係ではない。

この日訪れた金庸の生家では清国皇帝・康熙帝の直筆の対聯が真っ先に観覧客を迎えた。康熙帝は参謀だった金庸の先祖である査昇に直筆による「澹遠堂」という文字が入った扁額を下賜した。扁額には龍九頭があしらわれている。生家内部の部屋である澹遠堂に掲げられた「唐宋以来巨族 江南有数人家(唐宋以来の巨族、江南有数の一家)」という一文も康熙帝の直筆だ。

金庸が属した海寧・査氏は元~清代600余年間に科挙及第者を133人も排出した江南の名家だ。12日から一般公開された金庸の生家には100年前に彼が誕生した際に使われていたという木彫りのベッドも展示されていた。

「金庸の左手では社説を、右手では小説を書いた」。現場のガイドは「金庸は不偏不党に民生のことを思う社説を書いた小説界の神筆であり言論界の健筆」だったと説明した。彼の生涯を紹介した展示室には計25個のペンネームが紹介されていた。韓国戦争(朝鮮戦争)に関する翻訳書も目に入ってきた。1952年英国従軍記者レジナルド・トムソンの取材文『‘CRY KOREA』を楽宜というペンネームで翻訳したタイトルは『朝鮮血戦内幕』だった。1973年台湾を直接取材した金庸が出した取材文のペンネームは黄愛華。ガイドは「黄色人種であり、中華を愛する筆者という表示」と説明した。1948年香港に移住した金庸は1992年をはじめ、生前に海寧を6回訪れた。

12歳の小学生観覧客は「王室と身分が入れ替わった話の『書剣恩仇録』はとても面白かった」とし「金庸のように世界的な小説家になることが夢」と話した。黄色のヘルメットをかぶった労働者、老夫婦や若い恋人などの観覧客もあった。

海寧市内の旧工場跡には「赤字心 家郷情」を主題に金庸100年記念展が別途開かれていた。ハングル版の『射鵰英雄伝』パンフレットなど各国言語の翻訳書籍や広東語・閩南語・四川語など中国各地の方言で朗読したオーディオブックもあった。

小説に登場する武術「降龍十八掌」の型をまねた後に撮影し、漫画キャラクターとして再現する体験型サービスもユニークだった。金庸の武侠小説が映画やドラマ、ゲームを越えて仮想体験としても広がっていく余地を見せていた。

海寧で開催中の2つの展示室のどこにも、1951年反革命分子として追求されて処刑された金庸の父親、査枢卿の紹介はなかった。1981年7月金庸に会った鄧小平は査枢卿のことを謝ったと言われている。1985年海寧人民裁判所は1951年に判決が間違っていたとし、無罪を宣告した。

中国SNSでは金庸を再評価するブームが到来している。中国版X(旧ツイッター)である微博には関連のハッシュタグ#金庸生誕100周年、#金庸作品の最もみじめな主人公 がそれぞれ6800万件と4500万件のクリックを記録している。時事誌「環球人物」や「新周刊」は金庸に再照明を当てた特集を出して故人を称えた。金庸の小説で活躍する情と侠を兼ね備えたキャラクターを愛国心よりも強調し、最近の中国人の心理状態を反映した。

生家付近の銭塘江の潮汐海溢を見て『秘曲 笑傲江湖』を構想したという金庸。金庸の故郷・海寧を離れながらガイドが紹介した金庸の墓誌銘が頭から離れなかった。「ここに一人の人間が眠っている。20世紀と21世紀に十数本の武侠小説を書き、これら小説を数億人という人々が愛した」。

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    「大きな侠客は民のために献身」 金庸生誕100年迎えて中国が再照明

    2024.03.19 14:22
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    中国江南に600年余りにわたって続いた名家「海寧・査氏」の査昇に、清国皇帝の康熙帝が下賜した扁額「澹遠堂」。九頭の龍が扁額を飾っている。下へ「唐宋以来巨族 江南有数人家」康熙帝の直筆の対聯が見える。シン・ギョンジン特派員
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