【グローバルアイ】ネオ・トウキョウ・プラン、そして未来の首都
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.11.03 10:52
東京の沖合の役割を果たす東京湾。この東京沖を土地で埋めて新しい首都を作るという野心的な計画があった。「ネオ・トウキョウ・プラン」だ。
時は1959年。高度成長期で東京に人が押し寄せた。1945年だけでも349万人だった東京都の人口は、実際1960年には1000万人に達するほど増えた。出退勤地獄に狭まって爆発した首都問題を解決すると乗り出したのは、「産業計画会議」という民間シンクタンク。日本で「電力王」と呼ばれていた企業である松永安左エ門が戦後日本の再建のため1956年に作ったところだった。有名な政界・財界、学界の人々が参加し、16個の報告書を政府に渡したが、勧告案のほとんどが実現したという。このうち8番目に上がったのがネオ・トウキョウ。当時、この計画をまとめた加納久朗氏は新しい首都の名前として「大和」と名づけた。